BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

Archive for 9月, 2016

つい先日、山形県に行ってきました。いつも旅するメンバー5人で2泊3日で。
きっかけは山形で家具をリペアしたり、山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを企画するYAMAMORI PROJECTを立ち上げた須藤修くんが山形をアテンドしてくれるというところから。ちょうど山形ビエンナーレもやっている期間なので、それも含めて山形をまるっと感じようとみんなで思い立って。

img_3927▲須藤くんとは山梨ではじめて会って、その後もちょこちょこ山梨に来てくれていました。まだ知り合って1年とちょっとだけど、とてもよい交流ができています。

1日目は須藤くんがビエンナーレで「山の形」というお店を出店しているので、僕らだけで気になるところをまわってみました。情報源はだいたいdの山形design travel号。

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まずは、お昼ご飯を「コーヒーレストラン マリ」にて。
高い天井の吹き抜け、センスのある照明や太い梁や柱が店内に。40年前から変わらないというカレーを食べました。
けっこうカレーはいろいろなお店で食べるほうだけど、どこのお店にもないカレーでした。具はジャガイモとチキンが1個ずつのみ。
僕らが最後のお客だったので、店主のおかあさんが昔の近所の風景の話や、よい麦がとれるからそれをお皿で表現したことなどを話してくれました。
何度も何度も丁寧に。

img_3866 img_3865 「雨だけど山形を楽しんでください」。一見さんの僕らを最後、外に出て見送りまでしてくれました。幸先のよい旅のスタートを切れました。
お腹を満たして「東北芸術工科大学」へ。あとあとわかったことですが、この旅で出会った人は軒並みこの大学を出た人ばかりでした。山形の人材輩出基地。
写真を撮り忘れてしまったのですが、けっこう遠くからでも目立つ三角屋根の建物。
この日は学園祭とビエンナーレが入り交じって、文化のつるぼ化していました。そして、目に入ってきたこの言葉。

img_3883愛。日本に足りていない要素の1つ。
ここまで言いきれちゃうところがいいですね。「愛しあっているかい?」と、尊敬する忌野清志郎の言葉がふいに頭をよぎりました。愛は、つまり溢れる。言葉も、気持ちも溢れるもの。
なんだろう、芸術もそうなんでしょうが、文化をちゃんと担った大学なのだなとこの言葉から伝わってきました。熱き人々が集うには訳がある。
それなりの必然で物事は進んでいく。それなり、の。

img_3886芸工大から車を走らせて数分。やまがた藝術学舎スタジオには、全国のリトルプレスを集めた展示があります。BEEKもお声かけ頂いていて展示させてもらっているんです。
こんなに遠くから、見つけてもらって声がかかるなんて嬉しいなぁー。送った配布分のBEEK最新号もなくなっていました。
山形の誰かの手にわたって、山梨の人や暮らしが、きっかけでもよいので伝わるといいな。

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そして僕がなにげにこの日一番心待ちにしていた、アカオニデザインも入るトンガリビルへ。
これも甲府でできたご縁、アカオニさんに所属している写真家・志鎌さんに会いに。僕はこの日始めてでしたが、仕事で甲府に来ていろいろな場所をめぐってくれた志鎌さんは、五味醤油の発酵兄弟も撮影してくれていました。そんなご縁もあり、シャンソン物語という喫茶店で志鎌さんに会ったあと、トンガリビルへ。そしてアカオニデザインの事務所も案内してくれました。
自分がここ最近ローカルなデザインや編集に携わっていて、背中を押されていた人たちがいます。ぼくは純粋なグラフィックデザイナータイプではないので、他のデザイン会社に興味を持ったりとか少ないのですが、その中で会いたい、行ってみたいと思っていたのが、沖縄の「アイデアにんべん」さんと「アカオニデザイン」の2つでした。にんべんさんとは去年から交流ができるようになり、沖縄にも行ってにんべんさんの仕事の軌跡を辿ることができました。これはほんと僕にとって夢のような体験で。
そして、今回山形でアカオニデザインにもやって来れたという。
にんべんさんやアカオニデザインに出会ってしまったから言うのではなく、東京にいる頃からほんとうにそう思っていました。
行きたいって思ったり、口に出すと行けるものなんだなぁとあらためて実感。トンガリビルを出る時に、嬉しさあまって志鎌さんと記念写真。
山形のナイスなパッケージ、コンセプト、写真やロゴなど、アカオニデザインのデザインや編集が街に多くありました。デザインや編集が街に息づくことができる可能性を見せてくれています。
アカオニだけじゃない、山形県の他のデザインに携わる人や会社の気持ちも技術もとても高い。切磋琢磨している感がありました。

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志鎌さんが昔からSundae Booth名義として、その地の人々を撮る移動写真館「カメラ小屋」を僕はわりと追っている時期がありました。単純に志鎌さんが撮る人の写真が好きで撮ってもらいたいと思っていたのです。
東京の原宿で開催された時には、行こうと思ったけど、結局行けず。
旅を終え山梨に帰ってから志鎌さんとメッセージのやりとりをして、ぜひ山梨でカメラ小屋やりましょうという話になりました。本気でお呼びしちゃいますよ。
1日目はこれにて終了。夜は須藤くんの実家の宿に。とにかく朝のお餅はすごかった。お父さんの餅への情熱、山形への情熱をそのマイクパフォーマンスから読み取りました。
もうエンターテインメント。これを毎日って情熱すごすぎ。

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2日目は須藤くんが彼の日常の中でおすすめの場所を1日まるまるとアテンドしてくれることに。
このアテンドで山形の、須藤くん本人のホスピタリティを垣間見ることになりました。
さらっと工場の中に入ってそこのワイン作りを紹介したり、ファッションブランドではアパレルの成り立ちや生地の紹介までできていました。これってできそうで、なかなかできないもの。別の仕事の背景に深く入り込むというのは、本気で山形を、この人たちを紹介したいという人しかたぶんできないでしょう。
日常の関係性があるからこそ。

img_4128img_4142 img_41372日目の昼に、今まで食べたことのない美味しいおそばを食べました。「小滝そば ゆかりや」のふるっぱ。いわゆる、冷たい肉そばなんだけど、親鶏からとった出汁がさっぱりしているんだけどしっかりとした旨味がある。シンプルな懐かしいけど食べたことのない味、感動する味。ぼくのおこさまな単純な舌でもそう思わせてくれました。
食の記憶は旅の中でとても残るし、なにを誰と食べるか、とても大事なことだと最近とても思っています。

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山形の道を走っていて、目に入ってくるのは山。山、山、山。山梨にある山々とはまた違った山の雰囲気を感じました。
山岳信仰が古くからこの土地にはあり、山からはじまる山形を感じようとすれば、何日あっても足りなそう。民藝や人の暮らしにそれは残り、深く根づいているものだと街や人からも感じました。
それは形を変えて、土地に、人の意志の中に深く刻まれているような。
文化は長い時間をかけて、結局は人が紡いでいくものだと感じます。土地の記憶は確かに人に染み込んで、伝承されていく。
その人が持てるスキルを纏って。この3日間の旅は土地の記憶を人と時代を通して感じる旅なんだと、今このブログを書きながら思っています。

img_41732日目の最後、「GEA」(ギア)というアパレルショップに。紡績ニット会社、佐藤繊維が、もともと酒蔵だった石造りの建物を移築し工場として使用していた場所に開きました。糸づくりをしている会社が、ブランドを作り小売まで展開するという、すごい場所。建物が移築するってレベルじゃないほど大きい。スケールが大きすぎてその話を聞いて唖然としました。
お隣にある「GEA#2」では、山形の作家の食器やライフスタイルグッズ、書籍、家具の販売と、さらにはオシャレなレストランも。いやいや、ファクトリーショップとして先を行き過ぎています。
同じハタオリの街、富士吉田でここまで投資できる企業があるかといえば、もう規模が違いすぎて無理だなーと思い浮かべてしまいました。
どこを目指しているかによるのですが、たぶん向いている方向と現状は郡内地域と一緒なはずなんですよ。

img_4192 img_4193ここまでのものを作れる企業が“ある”ということがとても大きなこと。確実に日本の産業の未来を考えていますよ、このお店は。そして、どこよりも先に行こうとしている。
その姿の具現化がGEA。たぶん、溢れているんです。
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ちなみにこのお店の店長も、東北芸術工科大学の出身でした。須藤くんは、ここのお店のブランドの紹介までできる博識ぶり。見習うべきアテンド力。
山梨が誇るファクトリーブランド、オールドマンズテーラー、evam evaを知っていてくれていました。よいものは、地域を越えて知られている。LOOMをお渡しして、いつか山梨での再会を店長さんと約束。こういった繋がりが増えていくことが、旅の醍醐味かもしれません。

2日目はとにかく須藤くんの知っている人のところ、須藤くん自身が好きな場所に連れていってもらいました。週に何度も行く温泉、自分が一番好きだと思う農道、会ってほしい人たちがいる場所。
須藤くんがふだん感じている、ありのままの山形がそこにありました。もう、びんびん感じてしまいました。だって、本人がいたく日々のいとなみを楽しんでいるのだから。

そんな須藤くんの実家に2日間泊まっていたのですが、この家で育ったらそりゃもうこれだけのホスピタリティ出ちゃいますよね、という宿でした。
いろいろと細かいところがいきとどいているし、とにかくお風呂も朝のお餅つきもスケールが想像を超えてくる。
今からリニューアルも予定しているとのこと。リニューアルしたらまた来ますね。

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そして最終日。この日は一緒に行った五味醤油の6代目がどうしても行きたいとお願いして実現した、水戸部酒造さんの蔵の見学に。須藤くんもおすすめする、「山形正宗」を醸しています。
水戸部さんは2015年、仕込み蔵を100年以上ぶりに改装されました。日本の伝統的な建築技術も伝承し、その中で最新の技術を取り入れ、作業しやすさを優先しつつもデザインとして“美しさ”もしっかりと取り入れた蔵へと改装していました。外の人に見せるためではなく、自分たちが誇りを持って働くために。(水戸部酒造さんはふだん工場見学をしていないため、今回はご無理を言って特別に見せてもらいました)
6代目は、現在自分の蔵の改装にリアル直面しています。前に進むために、そのきっかけの種がこの酒蔵にあるのではないかと思って来ることになったのでしょう。

img_4238 img_4237仕込み蔵が、まるでホテルのラウンジのような。案内してくれたのは結城さん。1年半前は同じ市内にある天童木工でバリバリ働いていた方が、今は水戸部さんのところでバリバリと日本酒、さらには日本の伝統や技術を進化、継承していく仕事をされていました。デザインや空間、プロダクトをつくっていた結城さんが酒屋さんで2年たたないうちに日本酒や蔵のことに精通していました。話したら建築にも相当詳しく、趣味も多彩。働く場所が違っていても、何をしても芯も軸もある人は強いなぁ。その人柄に数分会っただけでも惹き付けられてしまいました。

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僕はお酒も味噌も醸していないのですが、この場所とたぶん蔵人全てが共有しているであろう働く想いに触れて、業種がぜんぜん違っても心の奥でびんびん感じるものがありました。
目頭があつくなるような類いのものですが、そんなことを感じられることが人間たる証、人間がつくる仕事、なんだと思いました。
発酵兄妹のふたりは、たぶん僕よりももっと大きなものをここで感じて、自分の蔵に持って帰れたかもしれません。そうであるのであれば、僕はその想いに共感して、できることを山梨に帰って仲間として協力していきたいです。
同じ目線で、同じ方向を見て、同じ時代を駆ける仲間がいることは、とても大きなことなんです。僕の役割、もう明確なんですよ。だから、その一歩を踏み出す勇気を、背中をそっと押してもらえるように。

img_4431とにかく得る物が多かった山形の旅。なんの気も使わず旅ができる仲間がいることがなにより嬉しいです。3日間ありがとう。
人と人が繋がる、こんな旅をたまにできたらいいですね。
山梨に遊びに来てくれる人に、僕も自分の日常から引き出しをあけるように、ありのままの山梨を伝えられたらいいな。
やまなしの人や暮らしを伝える。
僕が今までもこれからも、やるべきこと。

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師匠

ぼくにはデザインも編集も仕事の上での師匠がいない。
けっこうバリバリのアートディレクターや広告系の人は、ベテランの下について一緒に仕事をして独立っていうルートを辿っているのをよくみる。カメラマンとかもその流れが多い。
僕の道筋は、大学生の頃にイラストレーターを手に入れ独学でソフトの使い方を覚え、たいしてデザインもできない頃にデザイナーだけど取材もできますとか言って制作会社に入ったり、デザイン専門の会社で基礎的なところを徹底的にたたきこまれ、あとは好きなことができる会社を選んでリーマンショックで会社が傾いて放出され、否応なしに独立、そして今にいたる。いわゆるスタープレイヤーやこの道何十年の写植からやっていたベテラン、みたいな人の下についたことがない。つまりリアル師匠がいない。

そんな僕にとって、唯一勝手に師匠と思っている人がいる。あくまに勝手な妄想師匠。
その人はイラストレーターでデザイナーでシンガーソングライターで物書きで、流行語大賞とかとっちゃう人で、仏教学校卒で仏像に詳しくて、サブカルの権化で誰に対しても下手で優しくて、テレビや雑誌でエロいことを言ってお金をもらっている人だ。
他にも肩書きが多く、もはやなんの人かもカテゴライズできない人だ。
若かりし20代の終わり、彼の人に憧れ髪を伸ばしロン毛で過ごしてみた。中央線に住むと出世しないと言われつつも、彼の人がずっと住んでいた中央線をこよなく好きで住んでみた。ボブディランや吉田拓郎が好きになって、音楽の幅が広がったのも師匠のおかげ。好きすぎて、企画を立てて一度だけ仕事も一緒にできた。
そのときに書いてもらったイラストは今でも額に入れて部屋に飾ってある宝物だ。
ぼくの座右の銘は「色即是空」なのだが、これも師匠の著書をいろいろ読んでいきあたったところ。
悟ることは絶対にできそうもないけど、ものごとの真理には常に目を向けれるようになったかもしれない。
真理に目を向けると、馬鹿げてやってられないことばかりだ。
こたえは風の中に、とディランが歌っていたけどその風がまだ吹いていない。

つまるところ、師匠がいてくれてよかったということ(妄想師匠)。
師匠の道をみつめながら、僕は僕らしい道を歩いていきます。
師匠の師匠が糸井さんってのも、さすがです。この連載とかいまだに好きで見ちゃいます。

http://www.1101.com/job_study/jun/

SWITCH

ほぼ日でとても面白い対談がはじまっている。
http://www.1101.com/switch/araitoshinori/

スイッチパブリッシングはほんとに独自のメディアで出版社だと思う。
10年以上前東京に始めて出たときに、はじめて受けた面接がSWITCH編集部だった。
雑誌を作りたいとウズウズしていたぼくは、編集がなんたるかも何も知らないまま、好きというだけで受けにいってしまった。でもその嗅覚、今思っても間違っていなかったと思えるから若かりし頃の初期衝動はすごいなぁと思う。

そこで面接の人に言われたのは、「誰に会いたい?」「自分の時間より雑誌のことを考えることになるよ」「編集の馬になるだろう」ということだった。まず「誰に会いたい?」の質問には当時ひまさえあれば読んでいた宮本輝と即答。とにかく雑誌は作るのに時間と労力、アイデアや想像力や時代を読む目が必要と言われた。そして、編集という名のもとに、馬車馬になって働いてもらうことになると言われたのだ。「編集の馬になれ」、そう言われた気がする。今でもその言葉はとても強烈な言葉として自分の中に残っている。

田舎から出てきたばかりの僕を、やる気があるなら採用すると言ってもらえた。まずは掃除とか雑用から始まると。まだ雑誌を作るのにデザインも編集も区別がイマイチついていない仕事の内容もわからなかった当時の僕は、そうとう仕事が大変そうということに少しびびってしまい、その後散々迷って辞退の電話をすることになった。
そこでSWITCHに入っていたら、今のようなデザインを軸とした編集の仕事ではなく、編集を軸としたもっと雑誌に特化した編集者になっていたかもしれない。それはそれでいいのかもしれないが、山梨には帰っていないかもしれない。

とにかく東京では何社も面接を受けいろいろな会社を渡り歩いたけど、最初に受けたSWITCHの面接が一番強烈に覚えている。
そして、SWITCHもCoyoteもMonkeyもゆるぎない編集方針で、今でも最高に好きな雑誌だ。

そう、だから僕もメディアを作りたい、小さなメディアでもじっくりと育てたいと今になって思っている。
ほぼ日もSWITCHも遠くで瞬く星のように目指してもまだぜんぜん届かないところにある。
ただ星はずっと変わらずその場所で輝いていて、ぼくらの希望になる。

新しいことを始める、初期衝動のような勢いを、いまいちど。

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音楽は気分で聞くことが多いと思う。
最新のミュージックにうとくなってしまったアラフォーは、往年の名曲をリピートしたり、人にすすめられた曲を聴いたり。

今日は「さよならキャメルハウス」をリピートしていた。
たぶん、そんな気分だったんだなぁと。ちなみにWater Water Camelは山梨に帰ってきてから聴くように。

よく行く喫茶店にボーカルがふつうにいるんですもん、そりゃ聴きますよ、そしてリピートしまくりますよ。
山梨には食をつくる人が身近にいるのが印象的でしたが、音楽をつくる人も身近にいた。

まわりにいる運命のアラサーは、日常に翻弄されたり、また大人になってしまう時間と葛藤したり、日々で感じた喜びを隠そうともせずに、その喜びを食卓に、そして哀しみはトイレに流している。
そんな茶番劇を降りようともしない人たちと楽しく過ごしている。幸せなことだ。

自分にとって音楽とは、いつも無条件に寄り添ってくれる、人の魂の産物。

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山梨をよろしくと勝手に託された気分でいるのでまだまだ頑張れる。
いつか活動休止という魔法を僕らに解かせてください。

 

たまには遠くに行きたくなる。いろいろ大人になると背負うから、その荷物を置いたまま。
なんかたまにそんなことを思う。遅れてきた青春か、愛すべき生まれて育っていくサークルか。
まだ神様を信じる強さは、ある。