BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

Archive for 3月, 2017

ぼくは餃子が大好きなわけで、それをことあるごとに人に言いふらしている。初対面の人に対する自己紹介に餃子が好きという情報も組み込むほどに。友人がなにかと餃子パーティーを開くと言ってくれる。
そしたら餃子を撮影する仕事がキタ! 知り合いの人が餃子が好きで写真撮っている人がいるんですよって紹介してくれた。
もちろん撮影が終わったら餃子を食べまくった。全て手づくりで作る、the「家の餃子」的な味わい。通販だけで展開していくとのこと。地元のイベントでお店で焼いた餃子を出しましょうと提案してみた。

好きなことややりたいことを言葉に出していると実現しやすいのを大人になって肌で感じている。会いたい人のことを思って会いたいと言ってみると、会えるってことも。
いま、ここ何年かで自分の身に起こっている。ぼくだけなのかな?? いや、そんなことはないはず。強い想いがある人の身には起こっているはず。ぼくの場合、されど餃子だけど。
もうひとつ、僕がもう7、8年前からまわりに言っていることがある。小説家にもなる、ということ。も、というところがみそ。みそも縁深いものになっている。つながる、せかい。

甲府北口のコーヒースタンド、AKITO COFFEEのコーヒー豆販売のパッケージを店主のアキトくんと一緒に考えてリニューアルしました。今までの紙袋から、型から起こしたダンボールの箱にスイッチ。なぜ箱にしたのか、それはわりと海外のコーヒーシーンを意識してのこと。詳しくは店頭でアキトくんに聞いてみてください。海外のコーヒーシーンの話が面白いですよ。箱の制作は甲府の市川紙器さんにご協力いただきました。そのまま贈り物にもできるように、誰かの日々の生活のシーンにこの箱が普通に置かれているといいなと思っています。箱にあわせて“A”のロゴを再定義してデザインもしました。Aとははじまりの文字。店主のアキトくんがお店を作って3年目。やっと街に馴染んで来たところで、お店や彼がこれからやっていく役目が少しずつ見えてきたと言います。彼の視点は広く、大きな枠の中でコーヒーや甲府のまちを捉えています。やっとスタートに立てた、そんな彼の意気込みをAの文字に込めました。はじまり、向かう先を標す印、ほんとうの意味でのコーヒーカルチャーを広げていく、そんな想いがこのAに込められています。アキトくんとの話は、世界のコーヒーカルチャーから甲府という街の捉え方、これから想いをともにする人とやっていくことなど、ひとまわりも歳下の彼との話から、ぼくはとても刺激を受けています。目線と行動力。それが彼に秘められた力で、ぼくも仲間としてコーヒーのある場を一緒になって伝えていきたい。彼がこれからはじめる大きなプロジェクトも一緒になって、他の仲間たちとも協力して、ローカルだからこそできる場を作っていきたいと思っています。


コーヒーの楽しみ方はほんとうにいろいろあるとぼくも思っています。まちのお店で飲む、はたまた外で飲む面白さ、人と人とをつないでいく、パンや本とのコラボレーション。今まで深煎りばかり飲んでいたぼくは、浅煎りの世界の広がりもアキトや寺崎コーヒーさんから教えてもらってガツンと脳も舌もやられました。ほんとうに奥深いコーヒーの世界。農園のことや豆に目を向けると、それこそ世界に視点が広がっていきます。山梨はワインの産地。コーヒー豆の産地はどこにもないけど、そう思うと、ワインの原料となるブドウをこんなに多く育てている場所が近所に広がっている何てすごいことだと、他のコンテンツのすごさも見えてくるという。
個人的な話ですが、僕は本とパンとコーヒーがある休日がとてもしあわせです。お気に入りのコーヒーを淹れて、身近な人がつくる美味しいパンを食べて、本をゆっくり読める休みがあれば、たぶんずっと幸せです。本を読んだ後に温泉にも行ける環境なんて、もうほんと至福でしかないです。まあ、人は欲張りな生き物なので、そうはいっても他の欲望も求めてしまうのでしょうが。


店主のアキトくんは今年のテーマは人だと言っていました。人を育てる、人が息づく場所を作る、と。ぼくの今年(新年度から)のテーマは、「メディアを育てる」と「自分だからこそできる仕事とは」です。
1人の限界をここに来て感じています。このブログを読んでいる数奇な方々、いつもなんとなく気にかけてくれる親愛なる方々、まだ出会っていない志を同じくする人、今年はいろいろ頼らせてください。とりあえず、美味しいコーヒーを飲みに行きませんか?

長い階段があったとしたら、どこかでひと休みしないとなかなかはるか上まで行けないなぁ。最近はそんなひと休みをする時期なのかなと勝手に思っている。いや、まだまだ息が続くところまで走り抜けろ、と違う自分が言う。ここらで休んで、いったん身の回りを見渡してみろよ、とこれまた違う自分が言う。1人じゃ登れないなら誰か支えてくれる人を探してみろよ、とも言われる。
なにが正解なんてないから、強い気持ちで繋いでいくんだろうなぁ。人ごとみたいに言っているけど、自分のことで、でもどこか違う自分が見ている感覚もある。

長い階段を登り、生きる日々が続く。大きく深い川、君と僕は渡る。涙がこぼれてはずっと頬を伝う。冷たく強い風、君と僕は笑う。

たまには強い気持ちでStandupしてダンスを踊りたい。