ふだん生活している中で、実体のない見えないものが意外とさくさんある気がする。
人間にとって見えないということは不安でしかなく、形あるものに置き換えられる。
信用は見えないからお金にかえられたり、人の気持ちも見えないから贈り物になったり、夢も見えないから安定したしごと、夢のマイホームなんかになってしまう。本を読んで得た知識も見えないからまた本を書く。創作意欲の源になる熱量もそのままでは見えないから、絵や器や家具やその他いろいろな形あるものとして表現されているみたい。
つまりは人に認識されるために形になる。見えないものの可視化の集合体が社会になっている、ようにもみえる。
見えないとなると、どうしても見たくなるという人間の欲。
でも表面が見えることと、深淵まで見通せる目はまったく違うような。
せかいは複雑なようで単純だと思っている。
単純だからこそ深淵に通じる。そこは圧倒的な孤独なのかもしれない。
みえないものは見えない。
でも見えないからといって“ない”わけではない。ないわけではないものを抱えて、今日もぼくは生きている。
さっき冷蔵庫に隠されていたシュークリームは簡単に見つかった。
甘いものが大好きなのはすぐバレる。