BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

BEEK Blog

2017年のBEEKの編集、デザイン部門での振り返りを簡単に。
今年は写真を撮るということがとても増えました。県内から県外まで、雑誌から広告からウェブメディアまで。

ウェブメディアだとクラシコムジャーナルやWORK MILLでふだんから知っている友人たちの仕事の考えを聴きながら撮影できたのも嬉しかったです。

「お手伝い」から「生業」へ、厳しさも抱えて家業を継ぐ。五味醤油6代目 五味仁×「北欧、暮らしの道具店」代表 青木耕平【前編】

ビジネスの動機は「愛」。 偏愛を貫いてオンリーワンになる 発酵デザイナー 小倉ヒラク×「北欧、暮らしの道具店」代表 青木耕平 対談【前編】

「ReBuilding Center JAPAN」が創り出す、“難しくなくて、かっこいい”文化
http://workmill.jp/webzine/20170509_rebuildingcenter1.html


雑誌の天然生活には近所の花から育てる花屋「Flowrs For Lena」のことを写真と文章で寄稿。今年は個人的に花を育てるところから写真を撮らせてとオーナーに頼んでいたら、そのストックの写真でこうやって寄稿できてなんとも偶然。自分たちで花を育ててそれを売っている花屋さんは全国でもかなり珍しいはずです。花の生命力にほんとうに驚かされます。しかも値段も安い。東京で花を買っていた頃からすると信じられないくらい。日常に花を添えられるのは、Lenaのおかげといってもいいくらいでした。



雑誌「料理通信」さんからは、いつもBEEKを見ていただいている編集者さんから郷土のうどんを伝えるために力を貸してもらえませんか? というご依頼を受けました。この号から、地方のことを伝えるときにその地域に根付いて活動されている編集者さんに声をかけはじめたとのこと。食を伝えるなら一緒に仕事をしたいと思った、編集者・ライターの小野民さんにお声がけしてチームBEEKとして吉田のうどんや山梨の郷土の麺を伝えるページを4ページ編集・撮影しました。吉田のうどんをレシピから丁寧に紹介してくれひばりヶ丘高校のうどん部。彼らは高校生でありながら、うどんを伝える活動を日々していて、仕入れやイベントでの販売など大人顔負けの行動力に僕も小野さんも、そして編集部のみなさんもすっかり彼らのファンになったようで嬉しかったです。



雑誌「TURNS」では甲府の食を紹介したり、北杜市に新しくできたブルワリーを撮影したりしました。日頃から編集部のほうで山梨ツアーなどの企画でもご協力しています。来年の1月には北杜市をまわるツアーの協力もしています。いろいろな地域でいろいろな活動をしている人たちの動きには刺激を受けます。

雑誌ソトコトさんでは山梨のワインのニューウェーブを取材撮影。発酵デザイナー小倉ヒラクくんがアテンドする山梨のワインについてのこと。豊鮨に始まり、マルサン葡萄酒、ソレイユワイン、五味醤油とお知り合いのところに伺ってあらためて仕事の風景を撮影させてもらうのはとても面白かったです。つくるひとととても近い山梨。とても豊かなことだなと気づかされることが多々あります。

そんなソトコトさんには今年2回も自分自身をとりあげてもらいました。最初は「地域の編集術」という特集で1ページ使ってぼくの山梨での編集・デザインのいとなみをとりあげてくれ、「全日本リトルプレス図鑑」では2ページでBEEKの活動を取り上げてもらいました。全国にこんなにインディペンデントな本を作っている人がいるってことにとても勇気づけられました。BEEKをつくることはとても大変で孤独になる部分も正直あります。だけど、そんなこと言ってる暇があったらいい本を、伝えるためのBEEKをこれからも作ろうとさらに決意できました。

そして、ソトコト編集長、指出さんともご一緒する機会がありました。4月に東京千代田区の3331 Arts Chiyodaで開催されたリノベーションまちづくりサミットで、R不動産ディレクターの吉里裕也さんプレゼンターのもと、D&Departmentの相馬さん、ソトコト編集長指出さん、BEEKのぼくでローカルメディアやまちについていろいろ話させてもらいました。また個人的にいろいろお話したい人ばかり!
8月には松本のコワーキングスペース「KNOWERS」さんにも呼んでいただき、松本で山梨のことを話させてもらいました。山梨は長野にめちゃみんな憧れてますよって言ったら松本の人たちは山梨はみんなが仲よさそうで楽しそうと逆に言われてしまいました。

今年は高校生の前や大学生の前でも、デザインや編集、写真を撮ることでできることもあるんだよってことを話したり。なんといってもぼく、大学行ってたのに就職活動しませでした笑 だから大学生にも就職しなくてもぜんぜん生きていけるよなんて無責任なこと言ったりもするのですが、働くということは就職活動と直結するだけではないと本気で思います。大切なことは自分や他人をリスペクトして生きていくことなんじゃないかなと。ぼくもあとから気づくことになったのですが。若い頃に映画みて音楽聞いていろいろな人に出会ったことが、今の全てだと思っています。

今年は自主企画、こうふのまちの一箱古本市が開催できなかったのがとても残念でした。その代わりに、北杜市の小淵沢で開催された「わとわまつり」の中で森の中の一箱古本市を2日間開催しました。森の中という環境は、街中とはまた違った雰囲気で開催してよかったと思いました。本をここで買って森の中でそのまま読むのも最高ですよ。森の中もいつかまたやってみたいですが、本家のこうふのまちでの一箱古本市を2018年5月頃開催できたらと思っています。本を通した活動も続けていきたいと思っています。ぼくは広い意味での本屋だとも思っているので。

イベントにもいくつかBEEK LifeStyleとして出店しました。代表的なのは夏におこなわれたALPS BOOK CAMP。友人のパン屋・山角さん、AKITO COFFEEとともに。BEEK LifeStyleは山梨を編集したお店形態で今まで森道市場などにも出店させてもらったりしました。これからは、BEEKとして山梨にあるものに目を向けて、商品開発も一緒に生産者さんとすることで、しっかりとした商売のお手伝いができるものも作りたいと考えています。住んでみるとほんとうに素敵なものがたくさん足元にあることに気づかされます。

デザインの仕事もいろいろ経験させてもらいました。はじめてお声かけてもらうかたも多く、お役にたてたかはわかりませんがデザインやいろいろなコミュニケーションを見つめ直す作業など、まだまだ細かく調整ができたなーと後から悔やむことも多かったのが本音でもあります。来年は一緒にやってくれる人をみつけて、よりきめ細かい作業ができるようにしたいと思っています。ぼくの仕事はデザインや編集の作業を経て、「伝える」ということです。
やまなしのアートディレクターとして、山梨に特化しています。肩書きはその意気込みです。言葉の力を自分にかけています。
これからは声をかえてもらって受けるだけではなく、提案や問題を見つけていくこと、デザインや編集が誰の身近にもあるということを地道に伝えることもしていきたいです。BEEKもそうですが、伝えるということになぜかとても執着するほうです。知らないと、知っているの境界はたぶん、とても大きいと思っているからなのかもしれません。知っているの先にも、行動をおこす、おこさないなど選択肢はいかようにも広がっているのですが、まずは一番最初の入り口を作ることも大事なんじゃないかと思います。
ことしの年末になって、BEEKマガジンのウェブサイトもつくりました。冊子では時期や特集で伝えられなかったことも、こちらで編集して伝えたい。
http://beekmagazine.com


BEEKがウェブに移行したとか、そんなことではまったくなくて、これもBEEKなんです。メディアの少ないローカルでは、例えばデザインや編集を経てできた成果物がどれだけよくても、広く伝えることはなかなか難しいことも多いんです。メディアを持つということは、ある一定の共感してくれるファンを持つということにもなるはず。まずは小さくでもあらゆることを人に伝える装置として機能させ、きわめて個人的にはじめたこの活動を広く広く公にしていきたいです。それが伝わるという本質だと思っています。
ぼくがとても気になっているひとたちの連載もはじまりました。表現の場にもなってくれているのがとても嬉しいです。


デザインの仕事の実績は細かすぎて書ききれないので、このBEEK DESIGNのサイトで少しずつでもアップしていきたいと思います。まだぜんぜん追いついていない。。
いつもお仕事をご一緒していただいているみなさま、ほんとうにありがとうございます。長いおつきあいの中で見えてくるものが必ずあると思っているので、これからもひとつよろしくお願いします。もっとご提案もできるようにこちらも力をつけたいと思います。



ひとつ代表的に思い出深いのは富士吉田で開催した「ハタオリマチフェスティバル」。富士吉田市主催のイベントをぼくや、富士吉田の赤松くん、テキスタイルや作家さんの知り合いが多い藤枝さんの3人に委託され、それを市の職員の方も一緒になってつくりあげていきます。自分たちでいうのも何ですが、とても行政のイベントにはみえません。それは僕らの意図したところでもありますし、それを良しとしてくれる富士吉田の富士山課のみなさんの心意気でもあります。富士吉田の街が、機織りの街ということが伝わることがいちばんの大義名分です。そこを汲み取ってくれ、丁寧に1年かけて作り上げました。ぼくはアートディレクイション、企画の立案、伝えること全般を担っています。
念願だったやまなしが誇るバンド、WATER WATER CAMELの1日だけのお休み返上ライブも彼らがその意図を理解してくれ、その大舞台をそれはそれは感動的につとめてくれました。他にも日頃から交流のある多くの人に携わってもらい、わりと山梨に帰ってきて5年、集大成的なしごとの枠組みをここで発揮できたと思っています。


とにかくまだまだいろいろアテンドしたり記録したりデザインしたりとあって書ききれないのですが、ほんとうに関わるみなさまに感謝しかありません。ありがとうございました〜。
あたらしいBEEK Issue07の編集会議を昨日しました。今までにないかたち、今までにない関わる人の力が加わって2018年には出すつもりです。

seasons

6月も後半。甲州市塩山の福生里(ふくおり)という集落で梅もぎをしてきました。富士山がとてもよく見える場所にある梅の木。来年この梅の木がある場所はあたらしくワイナリーへと生まれ変わります。BEEKではそのプロジェクトのデザインや広報担当で関わっています。しかもこの場所の大家さんは以前取材でお会いしていたこともあって、ご縁を感じました。ワイナリーを集落の中に作るので、周辺の方々にもしっかりと周知や関係性をつくっていくこともだいじなこと。まずは大家さんに協力もしてもらって、収穫した梅で梅干しや梅酒、ジュースをつくって来年ワイナリーでもご提供できるようにしたいと思いました。


梅の木があちこちにあって、いろいろな場所で友人や家族も梅を仕込んでいました。うちのおかんも30kgくらい一人でつけて、近所に配ってまわってます。自然と梅が実をつけ(だいたいなにも手を入れずに)それを仕込んで1年をかけていただく。とても普通でとても気持ちのよいことを、今更ながら感じています。自然の中で汗をかいて、作業をしながらくだらない話をいくつも重ねる、そしてできるものを待って毎日の中でその自然をいただく。梅だけじゃなくて、季節それぞれで果樹や野菜やお米はそうやって作る人がいて、収穫しその恩恵をいただく。旬は待ってくれない。ふだん忙しない毎日の中、ぼくらはお金でその手間を買っている。いい部分もあるし、忘れかけてしまう部分もある。あたりまえなことを見失ってしまうこともある。自然の循環をていねいに見つめれば、きっと今まで感じなかったことに気づいて、心の中にも小さな芽が育っていくのだと思う。日本には四季がある。その季節ごとに、僕らはいつも揺さぶられる。


日本一人口の少ない町としても知られる、山梨県早川町の移住促進のツールとなる冊子「いさなふ」をNPO法人 日本上流文化圏研究所(略して上流圏)さんからのご依頼で共同で制作させてもらいました。BEEKは撮影、デザイン、編集構成、ネーミングなどを担当、上流圏さんは文章を書いていただいてます。


正直、このお話が来るまでは早川町には数回しか訪れたことがありませんでした。なにかの途中で寄る場所にあるわけではないので、意思を持って行く町でもあるわけです。川が流れ山が近い。その山あいにいくつかある集落。コンビニもスーパーもありません。端的に言ってしまうと不便極まりないのです。しかし近年、「田舎で子育てがしたい」という人が増えてきているとのこと。早川町に移住して来るひとは、並大抵の覚悟ではなく、きっちりと意思をもって移住してくる人が多いのだそう。早川町の大自然の中での子育ては、都会から見たら夢物語に見えるかもしれません。しかし、意思を持てばそれもできる土壌がある。不便だからこそ協力し合い繋がりが生まれる。それは本気で生きるということ。必要最低限の情報の中では自分と向き合う時間も増えるはずです。

そして特に力を入れているこどもの教育。小学校の授業にも参加させてもらいましたが、少人数のクラスでしたがとても考えられて授業が行われていました。学校の生徒全員が把握できる人数なので、学年を問わず交流の場が多い。学校の先生もこの人数だと先生自体が教育委員会で減らされてしまうとのことですが、そうならないように早川町で独自に先生を雇用しているとのこと。人数が少ないからこそ緻密な授業ができているように思えました。もちろん大自然をいかした自然教育も多いそう。

ぼくはこの冊子に「いさなふ」というタイトルをつけました。
古事記にも見られる言葉で、今の言葉で解釈すると「みちびく」と言えるかもしれません。奮い立つという意味と引き戻すという相反する意味をもつ「いさ」と、ものごとを合わせなじませるという土の意味をもつ「なふ」。早川町に通う中で、とてもあう言葉ではないかと思ってこの名前を冊子のタイトルにしました。
自然の中にあるふつうの暮らしから、いさなふ。

JUST

その瞬間はくる。どんどん季節は流れて。ちょうどぴったりと、お釣りなんて出ない。

OMG

神様っていると思う? たまにそんなことを人に聞くことがあります。神様の概念が人によってぜんぜん違うこともわかります。遠く空の向こうにいるとか、神社にいるだとか、祠や昔からの祭壇、石仏に宿っているとか。キリスト教ではキリストが神の子とされ、仏教では神様ではないけど仏に祈りを捧げ救われようとする。
神様ってどちらにしろ目に見えなくて、見えないものを信じて救われたいと思う行為だと思っています。もはや人格とか象徴なんかじゃなくて、神様って行為。ぼくもよく神様します。叶えたいことを見えない神様に報告するのです。人間だれしも今の作られた世界がほんとうに正解だと心のそこから思ってないのではないかなぁ。築いてきた社会や技術が本物で信じられるのなら、神様よりスーパーコンピューターにすがるはずじゃないかなぁ。
人間なんて未だに弱くて儚くてたまたま進化した生き物なんだってことを1人1人が再認識したらどんな社会になるんだろうって神様に聞いてみたい。

5/4、5/5の二日間、小渕沢のウェルネスパークで開催されたわとわまつりの中で「森のなかの一箱古本市」を開催しました。ほんとうに気持ちのいい、森の中。本を通していろいろな人が森の木陰で行き交いました。


いつもは甲府の街中で開催していた「こうふのまちの一箱古本市」のスピンオフ。毎回リピートして参加してくれる店主さんや、今回はじめて応募してくれた店主さんもいました。もう4回くらい開催しているのですが、毎回店主さんが本の売り上げよりも店主さん同士のコミュニケーションや、場所を楽しんでくれているのが伝わって来て、それがとても開催していて嬉しいところ。

第一回目から出てくれてる60Bのメンバー。一箱古本市がきっかけですごいことが起こったんですよ。まあそれはさておきこうやって毎回出てのんびり楽しんでくれるのがいちばん嬉しいんです。今回は植物も売ってました。一箱古本市では本が全体の7割あれば雑貨も売っていいことになっています。

甲府から参戦のINU BOOKS。楽しいメンバーが揃ってます。本を通していろいろな人が場を共有できるのが一箱古本市のいいところ。誰だって一箱に本を詰めこめばそれで本屋さんになれるんですよ。売れても他の店主さんの本を買ってしまったりすることが多くて、結局本が増えてるという出来事もしばしば。

長野から毎回出店してくれるお二人。毎回出てくれるので、いつのまにやら顔見知りになって会話も弾みます。最近は常連さんも増えて、いろいろな情報交換もできるようになりました。
ぼくが一箱古本市をやるにようになったのは単純で、自分が出たかったから。本が好きで、BEEK Issue02で本の特集をして、その時にこの特集が終わっても本の活動を僕もしたいと思ったのもきっかけのひとつ。とにかくやってみて思うのは、こんなに本が好きな人がいて、店主さんもお客さんも集まってくれるんだなーということ。最初は山梨でふつうの人が本の出店なんてしてくれるのだろうか、って不安に思っていたのがほんとうのところ。でも初回から30店主も集まり、しかもみなさん出店がとても気合い入っていたんです。だんだん増えて最近は40店主近く集まるようになってきました。

続けて行くことで、広がっていくことがありました。やってみないとわからなかったこと。場を作る本の力を信じて、これからも「本屋」の活動を続けて行きたいとおもってます。
書店員にはなかなかなれないけど、だれでも本屋にはなれるはずなんです。

4月の終わり、POMPON CAKESのレオくんが鎌倉のお店のスタッフと山梨まで遊びにきてくれました。レオくんと知り合ったきっかけは、今回一緒に来てくれたtinaが主催していたkinfolkのイベントで(その時のようすはコチラ)。そのときtinaに頼まれ北杜市を少しアテンドさせてもらったのですが、今回はやまなしの桃農家さんを紹介してほしいとアテンドすることに。あのイベントがきっかけで繋がったひとたちと、いまだにフラットに交流できているのがとてもうれしいこと。
紹介した桃農家さんはBEEKでも取材した宝桃園の堀井さん。畑をできるだけ自然と調和することで育てる桃。畑でもぎたての桃を食べたときの美味しさの衝撃は、今でもその記憶が脳裏に残っているほど。
畑をまわりながらいろいろなことを堀井さんは教えてくれました。果樹はほんとうに手間がかかるということを再認識。天候にも左右されるし人生で桃を作れるのは数十回しかチャンスがないということも考えると、すごいチャレンジをしているということも。堀井さんが考えるオーガニックと、レオくんが考えるお菓子つくり、行き先が同じ方向を向いていました。出会うべくして出会った二人だったんだな、と。この出会いがきっかけで生まれ出るものが今から楽しみでなりません。
調和の先にある未来を、見てみたい。

先月のことですが、松本市にある藤原印刷さんに見学に行ってきました。以前から印刷技術ときめ細かいサポートなどで、方々で噂を聞いていました。印刷所に行くのはかなりひさしぶり。現場を見るということは、自分がそのサービスや商品に関わるのならとても必要なことだと最近強く思うように。


働いているひとたちに気持ちいいくらいみなさんに挨拶をされました。
見られるということは時にマイナスに働くこともあるかもだけど、人の関心をひく仕事ということがダイレクトに働く人に伝わるから、やっていることを誇らしく思えるかもしれない。
案内してくれたのは、営業でもあり取締役でもある藤原 隆充さん。藤原兄弟の噂をよく聞いていましたが、さすが話も上手だし仕事にとても誇りをもっていました。面白かったのが「社長の息子だからあいつがいうことならしょうがないって仕事を持ってくるんですよ」って笑顔で話していたのが面白かったなぁ。そうやって自分の境遇をプラスに持っていって調和させているイメージ。これ、なかなかできないことだからリーダー素質もあるんでしょうね。


いろいろな職場を見ることは自分の働き方にとても影響を受けます。僕もまだまだできることがあるから頑張らなくちゃ。

緑があっという間に芽吹いて、新緑の季節に。年度末に追われ、BEEKを発刊して、なんだかんだでもう5月。
書きたいこと、残したい言葉はあるのに、時間がどんどん過ぎていく。今年度から体制ややっていくことを整理しようと心に決めたのに、その前にやることの連続の波にのまれている。
まわりの友人たちは本を出版したり社長になったり会社をつくったり、とても大きな動きをしている。すごい。
ぼくも熱を放って、響き渡らせなければ。記録したいことが山ほどある。衝動を形にしたい。

それはさておき、先日BEEKを配布していて見つけた場所で見た夕日がとてもきれいだった。
なんだか嬉しくて、ステップを踏んだ。

ぼくは餃子が大好きなわけで、それをことあるごとに人に言いふらしている。初対面の人に対する自己紹介に餃子が好きという情報も組み込むほどに。友人がなにかと餃子パーティーを開くと言ってくれる。
そしたら餃子を撮影する仕事がキタ! 知り合いの人が餃子が好きで写真撮っている人がいるんですよって紹介してくれた。
もちろん撮影が終わったら餃子を食べまくった。全て手づくりで作る、the「家の餃子」的な味わい。通販だけで展開していくとのこと。地元のイベントでお店で焼いた餃子を出しましょうと提案してみた。

好きなことややりたいことを言葉に出していると実現しやすいのを大人になって肌で感じている。会いたい人のことを思って会いたいと言ってみると、会えるってことも。
いま、ここ何年かで自分の身に起こっている。ぼくだけなのかな?? いや、そんなことはないはず。強い想いがある人の身には起こっているはず。ぼくの場合、されど餃子だけど。
もうひとつ、僕がもう7、8年前からまわりに言っていることがある。小説家にもなる、ということ。も、というところがみそ。みそも縁深いものになっている。つながる、せかい。

甲府北口のコーヒースタンド、AKITO COFFEEのコーヒー豆販売のパッケージを店主のアキトくんと一緒に考えてリニューアルしました。今までの紙袋から、型から起こしたダンボールの箱にスイッチ。なぜ箱にしたのか、それはわりと海外のコーヒーシーンを意識してのこと。詳しくは店頭でアキトくんに聞いてみてください。海外のコーヒーシーンの話が面白いですよ。箱の制作は甲府の市川紙器さんにご協力いただきました。そのまま贈り物にもできるように、誰かの日々の生活のシーンにこの箱が普通に置かれているといいなと思っています。箱にあわせて“A”のロゴを再定義してデザインもしました。Aとははじまりの文字。店主のアキトくんがお店を作って3年目。やっと街に馴染んで来たところで、お店や彼がこれからやっていく役目が少しずつ見えてきたと言います。彼の視点は広く、大きな枠の中でコーヒーや甲府のまちを捉えています。やっとスタートに立てた、そんな彼の意気込みをAの文字に込めました。はじまり、向かう先を標す印、ほんとうの意味でのコーヒーカルチャーを広げていく、そんな想いがこのAに込められています。アキトくんとの話は、世界のコーヒーカルチャーから甲府という街の捉え方、これから想いをともにする人とやっていくことなど、ひとまわりも歳下の彼との話から、ぼくはとても刺激を受けています。目線と行動力。それが彼に秘められた力で、ぼくも仲間としてコーヒーのある場を一緒になって伝えていきたい。彼がこれからはじめる大きなプロジェクトも一緒になって、他の仲間たちとも協力して、ローカルだからこそできる場を作っていきたいと思っています。


コーヒーの楽しみ方はほんとうにいろいろあるとぼくも思っています。まちのお店で飲む、はたまた外で飲む面白さ、人と人とをつないでいく、パンや本とのコラボレーション。今まで深煎りばかり飲んでいたぼくは、浅煎りの世界の広がりもアキトや寺崎コーヒーさんから教えてもらってガツンと脳も舌もやられました。ほんとうに奥深いコーヒーの世界。農園のことや豆に目を向けると、それこそ世界に視点が広がっていきます。山梨はワインの産地。コーヒー豆の産地はどこにもないけど、そう思うと、ワインの原料となるブドウをこんなに多く育てている場所が近所に広がっている何てすごいことだと、他のコンテンツのすごさも見えてくるという。
個人的な話ですが、僕は本とパンとコーヒーがある休日がとてもしあわせです。お気に入りのコーヒーを淹れて、身近な人がつくる美味しいパンを食べて、本をゆっくり読める休みがあれば、たぶんずっと幸せです。本を読んだ後に温泉にも行ける環境なんて、もうほんと至福でしかないです。まあ、人は欲張りな生き物なので、そうはいっても他の欲望も求めてしまうのでしょうが。


店主のアキトくんは今年のテーマは人だと言っていました。人を育てる、人が息づく場所を作る、と。ぼくの今年(新年度から)のテーマは、「メディアを育てる」と「自分だからこそできる仕事とは」です。
1人の限界をここに来て感じています。このブログを読んでいる数奇な方々、いつもなんとなく気にかけてくれる親愛なる方々、まだ出会っていない志を同じくする人、今年はいろいろ頼らせてください。とりあえず、美味しいコーヒーを飲みに行きませんか?

長い階段があったとしたら、どこかでひと休みしないとなかなかはるか上まで行けないなぁ。最近はそんなひと休みをする時期なのかなと勝手に思っている。いや、まだまだ息が続くところまで走り抜けろ、と違う自分が言う。ここらで休んで、いったん身の回りを見渡してみろよ、とこれまた違う自分が言う。1人じゃ登れないなら誰か支えてくれる人を探してみろよ、とも言われる。
なにが正解なんてないから、強い気持ちで繋いでいくんだろうなぁ。人ごとみたいに言っているけど、自分のことで、でもどこか違う自分が見ている感覚もある。

長い階段を登り、生きる日々が続く。大きく深い川、君と僕は渡る。涙がこぼれてはずっと頬を伝う。冷たく強い風、君と僕は笑う。

たまには強い気持ちでStandupしてダンスを踊りたい。

母の味

先日母が「このみそ美味しいじゃない、買ってきて」と僕に頼んできた。たまたまもらってあげたやまごみそだった。
こどもの頃から食べていた母のみそ汁、たぶんずっと出し入りのよくある○なんちゃらみそだったはずだ。僕が知っているかぎり、調味料にこだわりなど皆無だったはず。
でも美味しいからと言う理由で、手にとるものが変わろうとしている。ただ、知らなかったから。
人の選択が変わることは並大抵のことではない。
ただ知らない。じゃあどうすれば知ってもらえるのか。そんなことを考える、伝える仕事をする息子。

outdoor

こう見えて山も登るしキャンプも好き、自転車もシクロクロスに乗る。と、いっても最近はめっきり自然に身を置く機会が減ってしまった。
自然の中に身を置くことで、地べたに寝転がることで、人間が人間たるべき野生を少しは取り戻せる。
でも山や川じゃなくたって、街の中でもそんな気分になれる。やまなしのポテンシャルが、アウトドアの視点から広がっている。
SUNDAYと道がまっすぐのみなさんが広げている。
代表の石川さんが同じ志を持つ同士と言ってくれたことがとても嬉しかった。ジャンルは違えど、それぞれの視点で伝えること。
ひさしぶりに山に行きたくなった。

https://www.sundayweb.jp

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。
生き甲斐がある。

涙腺から水が流れるほうへ、険しいほうへと、行き先を決める。
だいたい残酷に壁があるけど、生きているって惰性じゃない。

white

変える。カエル。
生まれて育っていくサークルの中で。育ってしまったものは、なかなか変えられない。
信じるという行為をもっと真剣に考えてみたいと思った、今日このごろ。
心に余白があれば、できることは多いはず。

ついにLOOMの音源化が実現しました。しかも濱田英明さんの映像/監督の作品として。
LOOMは富士工業技術センターの五十嵐さんと一緒に作った、郡内機織産地を伝えるフリーペーパー。
そのお披露目の場として、頼まれてもいないのにぼくは勝手に音楽会を企画しました。演者は、田辺玄さん、森ゆにさん。
そして、富士吉田に縁がある田辺さんの粋な計らいで、その音楽会の時に曲を書いてくれたのです。
頼んではいなかったのですが、自発的にLOOMという曲を書いてくれました。
そして、その音楽会がハタオリマチフェスティバル(通称ハタフェス)に繋がり、そして僕がハタフェスで写真を撮ってほしいとお願いして実現した濱田英明さんの写真展「ハタオリマチノキオク」。
濱田さんは富士吉田に来る度に、この街が写真を撮るのにとてもよい街だと言ってくれました。
写真を撮りながらこのまちのキオクも映像におさめてくれていました。
そして、ハタフェスでの音楽会「ハタオリマチニヒビクウタ」で、LOOMの音楽と映像がはじめてそこで組み合わさりました。
濱田さんからライブの後に、LOOMの曲、そしてこの富士吉田という街のポテンシャルにご自身でもとても感動したというメールをもらいました。
そしてこの映像を富士吉田の街のために使ってほしいと。これまた自発的に言ってくれました。
今までLOOMは音源化してなかったのですが、公開が決まりしっかりとレコーディングをしてもらい、今この映像ができました。

音楽と映像に心がつかまれる。街を伝えるという意味もありますが、ハタオリマチノキオクに触れたという人間としての歓喜の感情。
この街に聞こえてくる音は、なんの音だろう。
聞いてください。「LOOM」。

ハタオリマチノキオク from Hideaki Hamada on Vimeo.

new year

あっという間にお正月が終わって、仕事もはじめている。
新年早々うれしいことがあったし、昨日も急に知り合いに呼ばれて新しい出会いがあった。
今年はどんな場所に行ってどんな人に出会うのだろう。自分はいったい何ができるのだろう。
今まで自分の中に秘めていたものを、今年は少しアウトプットできるような余裕を持ちたいな。

so far

2016年も終わろうとしている。いまだ仕事が納まらない中、今年を振り返りってみるなんてベタなことをしてみようかと。書くことで思い出すし、標しになるし。

今年はとにかく今までBEEKの活動で蒔いた種が、土に根を張り時とともに芽を出し少しずつ成長していくのを実感した。
会ったこともない人からBEEKを見たといって仕事の依頼が来たり、繋がりができていた人とも一緒に、同じ目線でデザインや編集の力でいろいろな物事を進められた気がする。もちろんまだ継続中な話もあるし、これからワクワクする話もある。山梨に帰ってきて4年目、そしてBEEKは5冊出すことができた。まだ道半ばでできていないことのほうが多いのだけれど、こうなったらいいなという小さな願望の小さな一歩を踏めた気がしている。

ぼくは新しいものは何一つ生み出してはいない。新しいものや想いを生み出す人の伝えるお手伝いを、編集という手法とデザインという手段で伝えている。
ぼくの仕事は伝える仕事。
やまなしのアートディレクターと名乗っているのは、やまなしの人や暮らしをBEEKやふだんのデザインや編集という仕事でも伝えるため。山梨で、山梨から。

東京に住んでデザインの仕事をしている時は、自分の仕事の“役目”がまったく実感できずわからなかった。
でも今は、“やまなしの人や暮らしを伝える”という役割を勝手に自分で作って、それをかたい言葉でいうと“使命”と思っている。ぼくの思い込みは激しいのだ。
役割がわかると迷うことがないのでとても楽になった。もうそのことについて、ただただ邁進すればいいのだから。
地方には誰かが担わないといけない役割が多くある。人が少ないからというのもあるし、地域の問題も多いし、それを解決するクリエイターや交渉人や地域に関わる人が求められている(声には出てこないけど、実際いることで変わることが多い)というのもある。地方でデザインの仕事をするほうがクリエイト力を求められ、都会のデザインなんかでは太刀打ちできないことが多い。それを思い知ったこの4年間。
そんな中でぼくがいましている活動は、勝手な使命感。でもこの言葉はとても好きな言葉。
そう、勝手にぼくは山梨を広告しているつもりでいるのだから。

今年はいろいろな意味で、手が足りなかった。とてもありがたいことなのだけど、やるべきことが後手にまわっているのも事実。この事象を解決するには、仕事を役割に沿った仕事にしぼっていくという方向性か、人手を増やすという方向性か、はたまたその両方か、と思っている。
2017年はその決断をしようと思っている。
ひとつ思っていることは、BEEKという小さなメディアをもっと丁寧に育てて、すべてをそこに集約したいということ。
ぼくにしかできないこと。それは今BEEKを作っているということ。

あたらしい年を前に、なんだかワクワクしている。
ワクワクしない人生なんて、ぼくは過ごしたくない。

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人間38年もやっていると、だいたいのことに慣れてきてしまっているような。
目にするもの、食べるもの、触れるもの。日々の生活。あたりまえを疑わないというか。
今日も街行く人が歩きながら見ていたスマホだって、こんなにあたりまえになってしまっている。
ほんとうのことがその中にある、ような気がしているだけで、ほんとうのことなんてほんとうは自分の半径数メートルの範囲の中にしかないのかもしれない。
自然から遠ざかるほど、決定する意志は鈍るし、些細なものごとの変化や美しさを捉える感覚は薄れてしまうのではないかと思っている。
すぐ近くにほんとうはあるのに。
スマホから目を外した視線の下にある野草にだって、ほんとうのことがたくさん詰まっている。
自分の気持ちを整理すると、ほんとうに願っているのは些細なことと、大それたことの両極端だった。

もういくつ寝ると、お正月だなぁ。