BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

Category: Design


日本一人口の少ない町としても知られる、山梨県早川町の移住促進のツールとなる冊子「いさなふ」をNPO法人 日本上流文化圏研究所(略して上流圏)さんからのご依頼で共同で制作させてもらいました。BEEKは撮影、デザイン、編集構成、ネーミングなどを担当、上流圏さんは文章を書いていただいてます。


正直、このお話が来るまでは早川町には数回しか訪れたことがありませんでした。なにかの途中で寄る場所にあるわけではないので、意思を持って行く町でもあるわけです。川が流れ山が近い。その山あいにいくつかある集落。コンビニもスーパーもありません。端的に言ってしまうと不便極まりないのです。しかし近年、「田舎で子育てがしたい」という人が増えてきているとのこと。早川町に移住して来るひとは、並大抵の覚悟ではなく、きっちりと意思をもって移住してくる人が多いのだそう。早川町の大自然の中での子育ては、都会から見たら夢物語に見えるかもしれません。しかし、意思を持てばそれもできる土壌がある。不便だからこそ協力し合い繋がりが生まれる。それは本気で生きるということ。必要最低限の情報の中では自分と向き合う時間も増えるはずです。

そして特に力を入れているこどもの教育。小学校の授業にも参加させてもらいましたが、少人数のクラスでしたがとても考えられて授業が行われていました。学校の生徒全員が把握できる人数なので、学年を問わず交流の場が多い。学校の先生もこの人数だと先生自体が教育委員会で減らされてしまうとのことですが、そうならないように早川町で独自に先生を雇用しているとのこと。人数が少ないからこそ緻密な授業ができているように思えました。もちろん大自然をいかした自然教育も多いそう。

ぼくはこの冊子に「いさなふ」というタイトルをつけました。
古事記にも見られる言葉で、今の言葉で解釈すると「みちびく」と言えるかもしれません。奮い立つという意味と引き戻すという相反する意味をもつ「いさ」と、ものごとを合わせなじませるという土の意味をもつ「なふ」。早川町に通う中で、とてもあう言葉ではないかと思ってこの名前を冊子のタイトルにしました。
自然の中にあるふつうの暮らしから、いさなふ。

SWITCH

ほぼ日でとても面白い対談がはじまっている。
http://www.1101.com/switch/araitoshinori/

スイッチパブリッシングはほんとに独自のメディアで出版社だと思う。
10年以上前東京に始めて出たときに、はじめて受けた面接がSWITCH編集部だった。
雑誌を作りたいとウズウズしていたぼくは、編集がなんたるかも何も知らないまま、好きというだけで受けにいってしまった。でもその嗅覚、今思っても間違っていなかったと思えるから若かりし頃の初期衝動はすごいなぁと思う。

そこで面接の人に言われたのは、「誰に会いたい?」「自分の時間より雑誌のことを考えることになるよ」「編集の馬になるだろう」ということだった。まず「誰に会いたい?」の質問には当時ひまさえあれば読んでいた宮本輝と即答。とにかく雑誌は作るのに時間と労力、アイデアや想像力や時代を読む目が必要と言われた。そして、編集という名のもとに、馬車馬になって働いてもらうことになると言われたのだ。「編集の馬になれ」、そう言われた気がする。今でもその言葉はとても強烈な言葉として自分の中に残っている。

田舎から出てきたばかりの僕を、やる気があるなら採用すると言ってもらえた。まずは掃除とか雑用から始まると。まだ雑誌を作るのにデザインも編集も区別がイマイチついていない仕事の内容もわからなかった当時の僕は、そうとう仕事が大変そうということに少しびびってしまい、その後散々迷って辞退の電話をすることになった。
そこでSWITCHに入っていたら、今のようなデザインを軸とした編集の仕事ではなく、編集を軸としたもっと雑誌に特化した編集者になっていたかもしれない。それはそれでいいのかもしれないが、山梨には帰っていないかもしれない。

とにかく東京では何社も面接を受けいろいろな会社を渡り歩いたけど、最初に受けたSWITCHの面接が一番強烈に覚えている。
そして、SWITCHもCoyoteもMonkeyもゆるぎない編集方針で、今でも最高に好きな雑誌だ。

そう、だから僕もメディアを作りたい、小さなメディアでもじっくりと育てたいと今になって思っている。
ほぼ日もSWITCHも遠くで瞬く星のように目指してもまだぜんぜん届かないところにある。
ただ星はずっと変わらずその場所で輝いていて、ぼくらの希望になる。

新しいことを始める、初期衝動のような勢いを、いまいちど。

img_0900

PieBooksさんから発売された「ご当地発のリトルプレス」。
47都道府県からあつめた地域を伝える冊子が一同に。うれしいことに山梨からはBEEKを紹介してもらえました。

IMG_0791s

BEEKをはじめたきっかけは、他の地域のフリーマガジンやリトルプレスが好きで集めていて、せっかく山梨に帰ってきたし自分が見たい冊子を作ろうと思ったのが理由のひとつです。
ぼくが東京に25歳くらいで出たきっかけは、とにかく雑誌が作りたかったから。
山梨が好きで過ごしやすくで出たい気持ちなんてまったくなかったけど、山梨では雑誌の仕事をほんとうの意味ではできなかったから。
そして10年くらい東京で雑誌を作ったりデザイン・編集を続けてきた糧が、いまのぼくの下地です。

BEEKをつくりだして、他の地域の方々とも繋がりができたこともとても大きなことです。

IMG_0869s IMG_0872sIMG_0878s

影響を受け続けたフリーペーパーから知らなかった冊子まで、ほんとうに地域によっていろいろな媒体があって面白いです。
BEEKとはまた違った視点のリトルプレスをいつか作ってみたいなーと思ってしまいました。

新しいBEEK、そろそろ出ます。

IMG_0877s

時代

しごとの資料でいまてもとにある昭和32年発刊のサンデー山梨といういわゆる小さな街のタウン誌。
内容は若い経営者へのインタビュー、流行歌や映画の紹介、うまいもの、スポーツ、洋酒のはなし、推理小説、告知掲示板など、もりだくさん。
とがった視点もあって、なかなか面白いんです。

IMG_9775

そして広告もおもしろい。macでデザインをしない時代、先人たちの考えがとても広告にあらわれています。
七賢さん、こんな広告また作りましょうよ。

IMG_9767

当たり前は“慣れる”と当たり前になる。
慣れることはいいことかわるいことかはわからないけど、慣れないやりかたで自分のやっていることを見てみるのもおもしろい。

やっていることは時代が変わっても一緒。やり方、プロセスの問題。
慣れていることも、俯瞰して視野を広げるとまだまだ可能性がいっぱい。

IMG_9768 IMG_9770 IMG_9772

LOOM

山梨織物産地を伝えるフリーマガジンLOOMができました。
夏前にこの話を発行元となる山梨県富士工業技術センターの五十嵐さんからいただいて、そこから富士吉田市、西桂町に月に何回も足を運ぶこと数ヶ月。
そして編集/デザインを含めると半年。

僕にとって、とても大きな想いも一緒にもらえた仕事になりました。

それは時代(いま)を織る、機屋さんたちの想い。産地の過去と、現代、そして未来。
過去を今に紡ぎ、それを未来に伝えていこうとする想い。

この時代に機を織る人たちの、このタイミングでしか作れないような冊子が作れたのではないかと思います。
冊子の中に「Synchronicity」というタイトルの特集を作りました。
シンクロニシティ=共時性、同時性。

IMG_5993s

産地を巡る中で、いくつかのキーワードがありました。その一つに、今このタイミングだからこそ成り立っている、人と人との関係性がありました。
それは機屋さんどうし、外からの専門職の人たちとの交流、サポートするシケンジョとの関係性、全てにおいて言えることでした。
その関係性の中から、新しいブランドが生まれていたり、若い世代の就職につながっていたり。

この仕事の話を五十嵐さんからいただいたとき、織物の知識もなく、産地のこともまだほとんどしらない僕に、ここに住む人たちの営みを伝える自信はまったくありませんでした。
だからこそ、知りながらこの街を歩いて、聞いて、見て、編んでいく。

取材で出会った機屋さんはみな朗らかで、皆が同じ前を向いて仕事に励んでいる方ばかりでした。
職人さんでありながら、ブランドを作り、それを伝えることもしていく。
ブランドを作った会社が、それを後から続くブランドにもノウハウを共有する。

多種類の織物を織る産地だからこそ成り立つことでもあるのかなと思いました。

j00s

最後の編集後記で五十嵐さんはこう記してくれました。

「今を伝える語り手として、山梨に住むひとりの市民の視点をBEEK DESIGNの土屋さんに担っていただき、共に産地をめぐる中で本書が完成しました」

 公共機関の冊子を作るのに、1個人である僕にすべて委ねてくれたというのは、すごいことなんですよ。
それだけ五十嵐さんが僕を信用してくれ、細かい調整を見えないところでしてくれたということだと思います。
その期待に応えられる冊子を、作れたかはわかりませんが、僕のいまできることを最大限使って冊子を作らせてもらいました。
BEEKを作ってそれが新しい冊子につながったことはとても嬉しいし、やまなしのことを伝えるという意味ではイコールです。

明日はLOOMを伝える音楽会を甲府のへちまでやります。
頼まれてもいないのに、イベントを企画して、まだ産地のことを知らない人に少しでも音楽を通して伝えることができればと思いました。
演奏には地元の音楽家、田辺玄さんと森ゆにさんに。お二人の音楽を甲府で聞きたいと思ったのも正直なところ。
音楽会の感想はまたこんど。

IMG_9103s

仕事上、アイデアが一番大事になってきます。

アイデアを出してそれを形作るのが仕事のため、アイデアの引き出しはあればあっただけいいんですよね。引き出しの中に何十年と入れる長期のものから、出し入れ出し入れを繰り返す短期のものまで。
頭で想像すると、写真のようなのが脳の中にあって、そこからおみくじだすが如く、引っ張り出すみたいなイメージ。

確実に言えることは、最近インプットがぜんぜん足りていない。引き出しがあっても、中に何も入っていないのではなんの意味もないや。東京に行くとデザインが溢れています。さりげなく設置されている駅貼りのポスターだって、かなりのクリエイティブなプロセスを持ってそこに行きついているはず。
ローカルにずっといると、逆にちゃんとデザインされたものに出会う機会が少なくなる。
もちろんデザインされたものもちゃんとあるのですが、トータルでアイデアにあふれるものというのはやはり少ないのが田舎、特に山梨です。デザインや編集でやっていくことが山積み。人も足りないや。

とりあえず9月はインプットできるようにちゃんとしたい。8月の最大のインプットは、お盆にひさしぶりに漫画と映画を見まくれたことかな。

渋谷ヒカリエのd47 MUSEUMでD&DEPARTMENTが主催する【NIPPONの47人 2015 GRAPHIC DESIGN】展では47都道府県の地域のデザイナーさんが集まっています。その土地に根付いて長年デザインを基軸に活動されている方々が選ばれています。そんな中、去年から「やまなしのアートディレクター」と名乗り出した僕が、山梨代表として47人に選んでもらえるという奇跡がおこりました。ワオ。
正直僕はグラフィックデザイナーだと思った事は一度もありません。そしてまだ山梨に帰ってきて2年なので、まだまだぜんぜん地域に根付いているとはいえないし、根付いたデザインができているとも思っていません。ただただ、BEEKでの活動があったからこそ選んでもらえたのだと思います。お声をかけてもらったときも、僕より数百倍グラフィックデザイナーと名乗れるデザイナーが山梨にいるのを知っているのでその人を薦めようかと思ったくらいです。ただ、選考の理由や対象を聞くと、デザインを通してその背景にも地域に貢献する姿勢があることだったり、地域の企業と関係性をどう作っているかなどを重要としているという話を聞きました。BEEKでの活動はそもそもデザインや編集を地域に根付かせるために行っていることで、地域との関係性、山梨を伝えることに特化してやっています。選考でそういった背景を汲み取ってくれたのであれば、お受けしてきちんと山梨を伝えてこようと思いました。

IMG_0400IMG_0423d
東京からは中嶋リカコさん、山形の尊敬しているデザイン会社 アカオニデザインの小板さん、大好きなリトルプレス「PERMANENT」を手がける福岡のサダマツシンジさん、デザイナーになったころから知っているマニアッカーズデザインの佐藤正幸さんなど、とても普通にしてたら会えない人たちと同じくくりに入ってしまいました。デザイナー意識低いけど、やっぱりデザイナーなので、そこはほんとただただ恐縮するのみです。
今おこなわれている地域のデザインはほんとにすごい。レベルが高い。刺激受けまくり。
僕はまだ山梨に帰ってきて2年しかたっていません。ただ、これからデザインや編集を通して山梨でやっていきたいことは、この展示に参加されていた諸先輩たちが地域に根付いてやっているデザイン活動に他ならないのです。
遠回りかもしれないけど、一歩ずつ歩んでいくしかないと思っています。BEEKで山梨を伝えていることと並行して、デザインを通しても、山梨の地場の産業や自然の恵み、風土や人や暮らしを伝えていきたいです。
全国の「 その土地らしいデザイン」をお近くに来た際にはぜひ。

NIPPONの47人 2015 GRAPHIC DESIGN

会 期 2015年4月 3日(金) – 2015年5月24日(日)
時 間 11:00 – 20:00(入場は19:30まで)
場 所 d47 MUSEUM
料 金 500円(学生:400円/小学生以下無料)
事前申込 不要

http://www.hikarie8.com/d47museum/2015/03/nippon47-2015-graphic-design.shtml

IMG_0393

こんにちは、BEEK DESIGNの土屋です。山梨の人や暮らしを伝えるフリーマガジンBEEKを立ち上げて早1年とちょっと。今までは「チカメパンダン」という屋号で東京の頃からデザインワークをしていたのですが、この度BEEKと連動することで山梨に根付く地域デザイナーになろうと決意し、BEEK DESIGNを立ち上げました。

僕は山梨の石和町出身で、24歳くらいで雑誌が作りたいと思いたって東京に上京。10年間東京で雑誌製作やデザイン、編集をしてきました。
広告の分野で朝日広告賞という名誉ある賞もいただたのですが(たまたま山梨に帰るタイミングの時に受賞)、逆にそのことで僕は何も成してないと思いいたりました。朝日広告賞は公募の部で大賞をいただいたのですが、それはあくまで公募の賞。社会や地域に対しては、デザインでなんの還元もしていないのではないかと逆に悩んでしまいました。
ちょうど山梨に戻ってきて、じゃあどうしようというときに僕はデザインで地域に貢献しようと漠然と考えBEEKを始めました。たまたま、東京で雑誌を製作してきていたので、僕一人で作れるぞ、と。

それから1年半。3号までBEEKを製作していて思うことは、ローカルにこそデザインと編集の力でやれることがまだまだ多く残っているということ。
山梨はまだまだクリエイターも少ないですし、産業とデザインがセットになっている感じが薄いです。デザインや編集に対する価値観も浸透していません。僕らデザインや編集に関わる人がもっとわかりやすく、粘り強くそれを伝えていくしかないと思っています。

できることをひとつひとつ考えて、僕はやまなしのアートディレクターという肩書きで、山梨で、山梨と、山梨から、伝える仕事をしていこうと思っています。