BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

Category: BLOG

長い階段があったとしたら、どこかでひと休みしないとなかなかはるか上まで行けないなぁ。最近はそんなひと休みをする時期なのかなと勝手に思っている。いや、まだまだ息が続くところまで走り抜けろ、と違う自分が言う。ここらで休んで、いったん身の回りを見渡してみろよ、とこれまた違う自分が言う。1人じゃ登れないなら誰か支えてくれる人を探してみろよ、とも言われる。
なにが正解なんてないから、強い気持ちで繋いでいくんだろうなぁ。人ごとみたいに言っているけど、自分のことで、でもどこか違う自分が見ている感覚もある。

長い階段を登り、生きる日々が続く。大きく深い川、君と僕は渡る。涙がこぼれてはずっと頬を伝う。冷たく強い風、君と僕は笑う。

たまには強い気持ちでStandupしてダンスを踊りたい。

ついにLOOMの音源化が実現しました。しかも濱田英明さんの映像/監督の作品として。
LOOMは富士工業技術センターの五十嵐さんと一緒に作った、郡内機織産地を伝えるフリーペーパー。
そのお披露目の場として、頼まれてもいないのにぼくは勝手に音楽会を企画しました。演者は、田辺玄さん、森ゆにさん。
そして、富士吉田に縁がある田辺さんの粋な計らいで、その音楽会の時に曲を書いてくれたのです。
頼んではいなかったのですが、自発的にLOOMという曲を書いてくれました。
そして、その音楽会がハタオリマチフェスティバル(通称ハタフェス)に繋がり、そして僕がハタフェスで写真を撮ってほしいとお願いして実現した濱田英明さんの写真展「ハタオリマチノキオク」。
濱田さんは富士吉田に来る度に、この街が写真を撮るのにとてもよい街だと言ってくれました。
写真を撮りながらこのまちのキオクも映像におさめてくれていました。
そして、ハタフェスでの音楽会「ハタオリマチニヒビクウタ」で、LOOMの音楽と映像がはじめてそこで組み合わさりました。
濱田さんからライブの後に、LOOMの曲、そしてこの富士吉田という街のポテンシャルにご自身でもとても感動したというメールをもらいました。
そしてこの映像を富士吉田の街のために使ってほしいと。これまた自発的に言ってくれました。
今までLOOMは音源化してなかったのですが、公開が決まりしっかりとレコーディングをしてもらい、今この映像ができました。

音楽と映像に心がつかまれる。街を伝えるという意味もありますが、ハタオリマチノキオクに触れたという人間としての歓喜の感情。
この街に聞こえてくる音は、なんの音だろう。
聞いてください。「LOOM」。

ハタオリマチノキオク from Hideaki Hamada on Vimeo.

場所

最近場所が気になる。
場所とはつまり空間。その空間の中に、その人がやりたいことや伝えたいこと、目指す未来が詰まっている場所には自然と魅かれるし、何度も訪れたくなる。敷居の高さというか訪れるのに「よし行くぞ」と心の袂を正す場所もあれば、ふらっと寄ってみたくなる気軽に行けるマテリアルが埋め込まれている場所もある。
空間とは、空の間。もとは空っぽの場所にどれだけの“間”をもたらせるか。場所をもっていないぼくは、とても気になっている。そして、場所を欲しいと思うようになっている。

BEEKは今はフリーペーパーとしてしか存在していないけど、このメディアを育てていく過程の先に、絶対的に場所は必要だと考えている。編集という力を借りて仕事をしているからこそできる場所づくり。小さくはじめた場所を育てていく。
友人たちも少しずつ動き出している。BEEKとしてできること。街に溶け込むようにそこにあること。

img_9988 img_9985

富士吉田市主催の秋祭り「ハタオリマチフェスティバル」が11/12・13に開催されました。
ぼくは実行委員の一人として、企画からアートディレクション、当日の運営まで任してもらえました。
とにかく盛りだくさんの内容なので、当日の様子は日本のものづくりを伝えるメディア「しゃかいか!」さんが丁寧に、しかもロングな内容で記事にまとめてくれました。これを見ればだいたいのことがわかるので、お祭りの様子はこちらで。
終わってみて課題もいろいろ見えたのですが、両日天気もよくてよい雰囲気でいろいろな人に街を歩いてもらえたのが嬉しかったです。

しゃかいか! ハタフェス記事前編

しゃかいか! ハタフェス記事後編

520a0371 img_6306 img_6262
実行委員は主に僕と富士吉田の宿、SARUYAの赤松、さらに北杜市の僕の家の近所に引っ越してきた元手紙社の藤枝さんに声をかけてこの3人を中心に企画を進めました。
いまや富士吉田で実績を残した地元の顔の赤松、今まで手紙社で布博を立ち上げから担当しテキスタイルブランドに明るい藤枝さん。そんな頼れる2人と、どうやってお祭りを作り上げようかというところから話し合ってきました。
とにかく富士吉田市役所の富士山課の方々が、最初から最後まで僕らのような若輩者を信頼してくれて、予算も全て公開して託してくれて進められたのはとても大きなことでした。
今回声をかけてくれた富士山課の勝俣さんが、以前BEEKで作ったLOOMという織物を伝えるフリーペーパーのお披露目の音楽会に来てくれとても感動してくれました。それが今回のイベントに関わらせてもらう繋がりになったというご縁も嬉しかったです。
去年はLOOMで富士吉田の魅力を発見し、今年はその魅力をイベントという形で広めるお手伝いができました。LOOMを作っているときはまだ、ここまで街や人に反映することができるようになるとは思ってもいませんでした。

520a0472_bimg_6955
僕は音楽会と写真展をメインで企画し、尊敬するアーティスト、クリエイターを呼べたことも嬉しかったし、アウトプットされた音楽と写真の力に心をつかまれて胸が熱くなりました。
音楽に田辺玄くん、森ゆにさん。そして写真と映像は山梨を撮ってほしいとずっと本気で思っていた方、濱田英明さん。計3日間吉田に通ってくれて、ハタオリマチのキオクを撮ってもらえました。
街を映像と音楽に反映させ、それが見事に融合していて素晴らしかった。来ていただいた方々にもその片鱗が伝わったのであれば、ぼくがやまなしで仕事をする意味がここにあったのだと思います。
大人数を呼ぶためのイベントではなく、少人数でも確かに伝わる人たちに、今の街のありのままを伝えることが目標でした。

img_6421 520a0663 520a0630来年もハタフェスを開催することが決定しました。
富士吉田や山梨をもっと知って、次回も多くの人にこの街を、山梨を楽しんでもらえるような場を作れる力をつけたいと思います。

img_6543

宿る

電気もないし、ガスもないし、天気予報だってないし、通貨もないし、学校ないし、花瓶もないし。

むかしむかし、それが日常だった時、人の心の奥にはなにがあったのだろう。
生きることは今も昔もサバイブ。
隣にあるスケジュールを気にしているぼくは、ぜんぜんサバイブしていない。地べたで寝ることを忘れてしまった獣は、抑制され作られたニセモノの文化に染まってしまう。

ほんとうの文化はその人自身に宿る、と思う。誰にも見えないからこそ、文化は消滅しない。

ところで、ディランがノーベル文学賞を受賞した。
でも1週間経っても彼と連絡がとれないらしい。
ディランの声が聞こえる。
「誰に評価されたいんだい?」

BEER

BEERはBEEKと一文字違い。
甲府の駅前にほんとに多くの人々。地ビールを楽しむひとたち。
行くと知り合いが飲んでいる甲府のまちの日常。
(編集長はわりと飲めない体質です)

IMG_9919

もう1ヶ月も前になりますが、2泊3日で沖縄に行ってきました。そこで得たことが大きすぎて、書こう書こうと思って何度も文章を前にしたのですが、言葉にしきれませんでした。なので、もう写真日記のように想い出をつらつらと。
きっかけはいろいろあるのですが、一番は黒川真也さん、祐子さんのユニット「IDEA にんべん」さんに会いに行きたかったというのが大きいです。
半年前に「ローカルデザインの失敗」というイベントを山梨で催して、その際にゲストでお呼びしたご縁がその後もよいカタチで続いていました。

はじめて観光ではない目線で沖縄を見ることができた旅。
今回は主に「沖縄発酵ツアー」というくらい発酵に関わる人に会いに行くことが多かったです。でもぼくの目線は「沖縄の人や暮らしを伝える」にんべんさんのしごとの奥深さを垣間見る「沖縄ローカルデザインツアー」と勝手に位置づけていろいろな話を聞いたりその土地を見たりしていました。

IMG_1160

ぼくはIDEA にんべんさんに直接出会う前から、やっているデザイン/編集の仕事とそのスタンスにとーーっても刺激を受け、おおいに影響されていました。
山梨に帰って僕も同じデザインや編集でやっていこう、やっていけるはずと思えたのは、にんべんさんがすでに沖縄でやっていたことに背中を押されたというのが大きいからです。
知り合ったから言うとかではなく、ほんとうにそうだったんです。
そんなアイデアにんべんのお二人に、アテンドまでしてもらえるなんて僕にとってはとても一大センセーションな旅になったわけです。

IMG_1248

メンバーは山梨からぼくを含めてこの4人。五味醤油の発酵兄妹こと、五味仁くん、洋子ちゃん、そして去年甲州市の塩山に引っ越して来た発酵デザイナーの小倉ヒラクくん。
最近いろいろなメンバーで県外に行くことも多いのですが、だいたいが年下ということに驚愕しているアラフォー編集長。
さてここからは写真でその模様をお届けします。あとは想像でお楽しみください。

IMG_1167IMG_1169

IMG_1217ずっと行きたかった笑味の店。笑子さんの想いは、誰におもねるわけでもなく、自分が感じるまま料理に出ていました。そういった伝え方、ほんとうに大切だなーと身にしみました。

IMG_1260
IMG_1269大宜味村でコーヒーを栽培している大五郎さん、芭蕉布をつくっているふさえさんご夫婦と。育んで、かたちを変えて伝えていく。伝えるべきことは生活の中にあるのだなぁと思いました。

IMG_1306 IMG_1317 IMG_1305沖縄唯一の醸造元の玉那覇みそさんにて。味噌屋や発酵デザイナーの興奮ぶり。独特の沖縄の発酵文化をもっと知りたくなりました。

IMG_1322IMG_1358petite rue(プチット・リュ)さんにて夜ご飯。なんと甲州ワインが飲めました。沖縄と山梨のご縁を感じつつ、おいしいご飯を堪能。いやー、ほんと美味しかった!

IMG_1388o IMG_1428 IMG_1411oIMG_1473パン好き編集としては前々から行きたかった宗像堂へ行けたのは嬉しかったです。宗像さんにもBEEKの発酵号を渡してきました。とてもおいしいパンを大人買い。

IMG_1491豆腐ようのうりずん物産さん。気さくな人柄で豆腐ようの説明も面白い。山梨に行きますよーと言ってくれました。

IMG_1110
とにかく吸収するものが多かった沖縄の旅。まとめようと思ったのにまとまらなかったのだけど、自分の頭や心の中では常にこの旅での体験が活きています。にんべんさん、沖縄で出会ったみなさん、ほんとうにありがとうございました。また遠くないうちに再訪したいです。

生きているということは「集めること」そして「拡散すること」らしい。そんな話を緑の中で聞いた。
何かの現象が起こるとき、エントロピーは増大する。

そんなことはさておき、だめだとかいいとかじゃなくて、じぶんに素直でいたい。

5月の気持ち。

IMG_0182

 

つい先日北杜市の津金にある明治カフェでうちあわせ。
ちょうど桜が満開という絶好のタイミング。明治カフェに来たのも久しぶりだったなー。

IMG_0448

明治時代に建てられた学校を保存する目的でカフェがあったり2階の教室として使われていた場所ではイベントが開催されたり。
BEEKでもここで内沼晋太郎さんをお呼びしてトークイベントを開催したこともあったなぁ。もはやなつかしい。

IMG_0449
当時の楽器や資料もたくさん残っています。古道具市にあったらいくらするんだろう…というものばかり。
いまはすべて貴重な資料となっています。
足踏みオルガンがとても多く残っていました。一緒にいた森ゆにちゃんと田辺玄くんのミュージシャンふたりはとても興味津々。
蓄音機で美空ひばりも聞かせてもらいました。
そして根津のピアノをひくゆにちゃん。ブルグミューラーなつかしかったー。
ちなみにぼくも9年くらいピアノ習っていたのですよ。

IMG_0460 IMG_0462

あたりまえのようにあった暮らしは、時代とともに変わっていきます。
便利なものはたくさん増えました。早く食べれるものもたくさん増えました。
技術の恩恵を受けてぼくらは暮らしています。
でも、手間や時間がかかることの中にある多くのことにも気づかないといけないんだろうな。
なおざりな暮らしはいつか自分に返ってきてしまうのだろうから。

もうすぐ山梨にUターンしてきて3年目が終わって4年目になります。
やまなしの暮らしはとても楽しいです。待つこと、育むことにも寄り添い、日々がとても愛おしく思えるようになりました。
それもこれも山梨に帰って来て出会ったひとたちのおかげです。

みなさんいつもほんとうにありがとう。

IMG_0466
IMG_0446

移住のニュースタンダードを掲げるウェブマガジン「雛形」さん主催のスナック雛形というイベントに1日限りのスナックオーナーとして立たせてもらってきました。

雛形にはぼくの山梨に帰ってきてからの活動を取材してもらっています。
1日かけてその土地の人とも触れ合いながら、ていねいに取材をしてくれました。

(雛形での記事 → https://www.hinagata-mag.com/comehere/4134 )

そんな雛形さんが、ウェブ読者のリアルな声を聞きたいと企画したのが今回のスナック雛形。
雛形に今まで掲載された地域の人がその土地の地酒を持って1日マスター、ママになり、お酒を振る舞いながら気軽に地域の話をしませんかーというのがイベントの趣旨でした。

ぼくは「さんてん」という山口県萩市のゲストハウスrucoの塩満くん、山形の家具リペアデザイナーの須藤くん、山梨の五味醤油6代目の五味ちゃんの3人が集まったユニットと一緒にブースに呼んでもらいました。ぼくは友人のマルサン葡萄酒の若尾さんがつくるワイン、百(赤・白)、五味ちゃんは四恩醸造のワインを携えて。

IMG_0024

おきゃくさんで来た人はそれぞれの理由で話をしに来てくれました。
いま東京で働いているけどいずれ地元に戻りたいという人、2拠点での活動を実際している人、東京にいるけど地方が気になっているという人、rucoの塩満くんのところに泊まりにいって塩満くんが東京来るならといって会いにきた人(これが一番多かったかも。塩満効果)、とりあえずワインや山形、山口の日本酒飲みたい、などなど。

IMG_0043
ぼくも山梨にいつか戻りたいと言ってくれた方や、学生さんで地元が山梨で就職先をいろいろ考えているなんて人から、はじめてBEEKを見てくれた人とフリーペーパー談義をしたりととてもよい話がたくさんできました。ひさしぶりに東京の友人(Tokyo graffiti時代)にも会えて嬉しかったなぁ。

IMG_0036
IMG_0055

山梨からお手伝いの仲間も来てくれたり、さんてんのみんなも住んでいる場所は遠いけど以前から交流があり、とてもいい雰囲気でスナックができました。
日頃からこんな交流がでてきることが、いまさらながらありがたいし嬉しいしなぁと。
それもこれもぼくにとってはBEEKを作りだしたことがきっかけなので、なかなか遅れている新しいBEEKもていねいにつくっていきたいなとあらためて思いました。

二次会にはなぜか最近甲府にもよくあらわれる、みんなのアイドルGも。
そんな東京での1日。とにかく呼んでくれた雛形さん、ありがとうございました〜。

IMG_0078 IMG_0087 IMG_0097

おつかれさま、ありがとう。またね。

そんな夜でした。奇跡みたいな風がふいた甲府の夜。(3/16 さよならパタゴニア。でもまたね )

IMG_9767

げんきまつりでパンまつり、ご来場していただいた方々、出店のパン屋さん、ほんとにありがとうございました。

BEEKでふだんなじみあるパン屋さんが多いこと、ぼくが単純にパンが好きなこと、やまなしにもこんなにおいしいパン屋さんがあるんだってこと、そんな単純な理由で今回のパンまつりを開催しました。
たのしいお祭りになればいいし、いろいろな個性あるパン屋さんを知ってほしい、そんな気持ちしかありません。

IMG_9657IMG_9654

げんき祭りという今年で3回目の富士吉田での楽しいお祭りがあるので、去年からBEEKでも協力してイベントを一緒にやるようになりました。ほんとうに県内外から元気な人が集まるんですよ。今回もふくめ、全3回とも参加していますが毎回元気をもらっています。

IMG_9911(写真は去年のようす。今年バタバタすぎてぜんぜん写真撮れなかったww)

今回パンまつりで、想像をこえまくるお客さんに集まっていただき、せまい小屋に入るのに行列ができてしまいました。
会場は混雑するし、最後のほうの人は買えなかったり…。ほんとうにごめんなさい。
次にいかします。
げんき祭りのスタッフのみなさんにはお手伝いいただいてほんとうに感謝しています。

IMG_9680IMG_9690IMG_9709

パンと本とコーヒーがあれば、休日はたいていしあわせです。
そんななんでもない1日をすごせる場をまた作れるようにがんばります。

参加パン屋さん:山角(北杜)、asa-coya(韮崎)、ブーランジェリー パンペパン(甲府)、ベーカリールーブル(南アルプス)、MOGMOG PAN(笛吹市)、コンプレ堂(北杜)、Naturalrhythm(都留)、チェチェメニ(富士川町)、パンとお菓子の店 akikki(北杜)、お菓子と天然酵母パン tobira(都留)

LOOM

山梨織物産地を伝えるフリーマガジンLOOMができました。
夏前にこの話を発行元となる山梨県富士工業技術センターの五十嵐さんからいただいて、そこから富士吉田市、西桂町に月に何回も足を運ぶこと数ヶ月。
そして編集/デザインを含めると半年。

僕にとって、とても大きな想いも一緒にもらえた仕事になりました。

それは時代(いま)を織る、機屋さんたちの想い。産地の過去と、現代、そして未来。
過去を今に紡ぎ、それを未来に伝えていこうとする想い。

この時代に機を織る人たちの、このタイミングでしか作れないような冊子が作れたのではないかと思います。
冊子の中に「Synchronicity」というタイトルの特集を作りました。
シンクロニシティ=共時性、同時性。

IMG_5993s

産地を巡る中で、いくつかのキーワードがありました。その一つに、今このタイミングだからこそ成り立っている、人と人との関係性がありました。
それは機屋さんどうし、外からの専門職の人たちとの交流、サポートするシケンジョとの関係性、全てにおいて言えることでした。
その関係性の中から、新しいブランドが生まれていたり、若い世代の就職につながっていたり。

この仕事の話を五十嵐さんからいただいたとき、織物の知識もなく、産地のこともまだほとんどしらない僕に、ここに住む人たちの営みを伝える自信はまったくありませんでした。
だからこそ、知りながらこの街を歩いて、聞いて、見て、編んでいく。

取材で出会った機屋さんはみな朗らかで、皆が同じ前を向いて仕事に励んでいる方ばかりでした。
職人さんでありながら、ブランドを作り、それを伝えることもしていく。
ブランドを作った会社が、それを後から続くブランドにもノウハウを共有する。

多種類の織物を織る産地だからこそ成り立つことでもあるのかなと思いました。

j00s

最後の編集後記で五十嵐さんはこう記してくれました。

「今を伝える語り手として、山梨に住むひとりの市民の視点をBEEK DESIGNの土屋さんに担っていただき、共に産地をめぐる中で本書が完成しました」

 公共機関の冊子を作るのに、1個人である僕にすべて委ねてくれたというのは、すごいことなんですよ。
それだけ五十嵐さんが僕を信用してくれ、細かい調整を見えないところでしてくれたということだと思います。
その期待に応えられる冊子を、作れたかはわかりませんが、僕のいまできることを最大限使って冊子を作らせてもらいました。
BEEKを作ってそれが新しい冊子につながったことはとても嬉しいし、やまなしのことを伝えるという意味ではイコールです。

明日はLOOMを伝える音楽会を甲府のへちまでやります。
頼まれてもいないのに、イベントを企画して、まだ産地のことを知らない人に少しでも音楽を通して伝えることができればと思いました。
演奏には地元の音楽家、田辺玄さんと森ゆにさんに。お二人の音楽を甲府で聞きたいと思ったのも正直なところ。
音楽会の感想はまたこんど。

IMG_9103s

それは2月、立春を迎えてもまだまだ寒さが続く日のできごと。

この日はお休みの甲府のパタゴニアの南喫茶店にぼくは訪れました。
店に入ると店主の齋藤さん、パン屋「山角」のあっこさんが料理の仕込みに精を出していました。

aa_IMG_9443

パタゴニアの南喫茶店は3月13日をもって甲府のお店をクローズし、春には山梨から新しい地に旅立つことになりました。
今日ここに山角のあっこさんがいる理由は、齋藤さんの料理を“引き継ぐ”こと。そして齋藤さんもあっこさんのパンのつくりかたを吸収して日常のパンを焼こうということ。

あっこさんはパン屋として今は各地で行商をしていますが、春先からはカフェを開くことになるそうです。(パン屋の前はカフェオーナーなんですよね)
北杜市のとある工場跡地で、ゲストハウスやシェアオフィスなどが入る敷地の一画で。
そのカフェで、パタゴニアの南喫茶店で出していたぼくもいちばん好きなメニュー「豚のアマトリチャーナのパスタ」を齋藤さんから引き継いで提供していこうと考えたそうです。
あっこさんは齋藤さんのことを「わたしととても似ていて、気が合う」と評します。
会ってまだそこまで長くない二人なのですが、端から見ていてもたぶんそうなんだろうなと思います。見えないところを共有するには、特に歳月や性別もあまり関係ないのかもしれません。

IMG_9457

そんなふたりの、食を継いでいく場面にぼくは出くわしたのです。招いていただいたというほうが正しいのですが。
誰かにとってはふつうの日常の時間ですが、きわめて個人的に大切なことがおこなわれている時間にこの場所にいれることはとてもうれしいことでした。
そんな日の記録をここにいま書いています。
料理に精通しているわけでもないぼくは、この日も気の利いた言葉を二人にかけたりはできませんでした。そんなことを求めていないだろうけど。

IMG_9417IMG_9398
ぼくはふたりのこの作業を見守って、写真におさめていきました。時に、料理について、日々の暮らしについての話も交えながら。

IMG_9432IMG_9448

パスタはすべて自家製。まるでうどんのようって表現したら失笑されました。
アマトリチャーナ用の平面と、ショートパスタもつくりました。手際がいいふたり。
料理には歴史や地域性がとてもあらわれていて、それはパスタにもパンにも言えその背景がみえる料理に興味をひかれるそう。

パスタもパンも“食べもの”という枠の外に人の痕跡がある。だからふたりとも人が好きなんじゃないか、なんて勝手に妄想をすることしかできませんでした。

IMG_9346

ソースを煮込んでいる間に、パンの仕込み。
この日はあっこさんが前もって仕込んできた黒丸のパン種で、齋藤さんの家のオーブンでも焼けるパンを目指します。
まずは日常のパンが焼けるように。
できるだけ手で触る要素を少なくして整形していきます。

IMG_9349IMG_9352IMG_9497IMG_9501
整形のあと、パンに入れるクープも齋藤さんがその場で考えて入れました。料理って想像力。
黒丸ともうひとつ、シナモンロールも作ることに。シナモンロールってこうやって作るんだーって感心。

IMG_9374IMG_9377

多少メモをとりながらだったけど、感覚的にふたりはおたがいの領域のことをわかっているように思えました。そしてとても楽しそうに。食をお互い継承していくということだけど、友人にはなむけの言葉を投げかけるように、料理を作っていました。ぼくにはそんなふうに見えました。

IMG_9510

パタゴニアの南で食べるごはんの時間。
そんなに何度も通っているわけではないのですが、ここの空間はほんとうに特別に思えます。すべての間がいいというのか。

食べるという行為でもちろん訪れるのですが、それ以外になにか持って帰れるものがあるような。
最果ての地という名前は、ここからまた何か始まるきっかけになるという意味もあります。
齋藤さんが新天地に行くように、あっこさんも新しいお店を始めるように。

齋藤さんの言葉にもあったのですが、物語はまだ続いています。
最果てから静かに始まる物語は、齋藤さんだけじゃなく、このお店に訪れていた全ての人に言えるのかもしれません。

IMG_9488IMG_9545

店休日にとてもしあわせな食卓を囲むことができて、日々にこういう小さなしあわせがあることにとても感謝しています。
特に山梨に帰ってきてから、食べることを考える機会がとても増えたような気がします。
そこにパンがある、コーヒーがある、美味しいお酒がある、くだらない会話がある。
食べることは生きること。ただそんなことで、人は生きていけるのですね。

日常でおいしいパンを焼けるなんて、とてもしあわせなことだなぁ。

IMG_9506IMG_9549IMG_9552

パタゴニアの南喫茶店のとある日の記録として、少しでも何か書き記せたのならこんなにうれしいことはありません。

誘ってくれたあっこさん、齋藤さんに心から感謝します。

IMG_9559 IMG_9564

編集者

甲府の春光堂書店で買って来た「圏外編集者」。都築響一さんの語る編集や本をつくることの意味。
都築さんが今までやってきた編集の跡が雑誌や書籍として残っていてその痕跡を見てきたことが、今の自分の仕事にとても大きな影響を与えてくれています。
本やデザインを通して、伝えたい、残したいと思って今の仕事をはじめた原因の一つと言ってもいいくらい。

ぼくが今の仕事をしているきっかけは、雑誌が好きで雑誌を作りたいと思ったから。
大学卒業後、就職活動もせずフラフラしていたのですが、そろそろ今後の仕事を考えようと思った時に、好きでよく読んでいたBRUTUSやrelax、STUDIO VOICEに影響され雑誌を作ってみたいと思ったんです。

でも山梨でくすぶっている田舎者で、雑誌がどうやって作られているかなんてわからないし、そもそも編集者ってカテゴリがあることも知りませんでした。
結果、デザイナーとしてその門徒を叩くことになった25歳。東京に上京して小さな編集プロダクションや、雑誌を発行している編集部でデザインをしながらも取材や撮影に赴くということを始めたのです。今山梨でやっているスタイルの原型です。

特に「Tokyo graffiti」では取材しまくった。表参道で声かけた若いこの家に次の日には行って部屋を撮影するとか、新宿2丁目に行ってアポ無しでレズカップルを探すとか、agehaや渋谷のWOMBのクラブで深夜の取材とか、高校生1日50人撮影しまくるとか。
短い期間しかいなかったけど、とても多くのことを体験させてもらった雑誌です。

そんなこんなで、僕はデザイナーとしての仕事は好きなんだけど、それ以上に編集という職業が好きなんです。デザインの領域にも編集がないと成り立たないし、編集者であり続けるということは、自分の視点を持ち続けるという、ある種自分と向き合い続けることでもあると思うんです。

「圏外編集者」を読んで、忘れそうになるその編集者としての気持ちをこれからも持ち続けようとあらためて思わせてくれました。
都築さんは言います。「読者を見るな、自分を見ろ」
たぶん、どんな職種の人も多かれ少なかれ、編集という作業をしているはずです。
編集は選択の連続作業です。

やまなしのアートディレクターと名乗っている今の肩書きを僕という個人を通して分解して直訳すると、「デザインや写真というツールも使える編集者」。
デザインや写真はもちろん好きだけど、すべて編集のもとで光り輝くものだから。

だから僕はいつかデザイナーをやめたとしても、編集者ではいたいのです。
人生も編集という視点で見れば、誰しもが編集者だと思うんですけどね。

BEEKを作る意味はいろいろあるのですが、僕がほぼ一人で作っているというところにも大きな意味があると思います。

本を作りたいって、ほんと衝動なんですよ。
このワクワクする衝動をもっと多くの人に伝えたいし、いろんな人の衝動を見てみたい。
デザインの仕事で忙しくなっている今、僕はとてもモヤモヤしています。
4月以降、自分の仕事を少し見つめ直しながら衝動を大事にしていこうと思った雪の積もる日。

今年最初の打合せを甲府のパタゴニアの南喫茶店で。すごい偶然隣に北杜市の友人二人が来るという幸先のよい仕事の始まり。気持ちのよい空気が流れている場所で、エネルギーあふれる人に会ったのでなんだかとても元気が出ました。お正月から仕事モードにぜんぜん切り替わっていなかったのでちょうどよかったなぁ。

打合せは、4ヶ月かけて富士吉田や西桂町を取材してきた郡内織物を伝える冊子の制作やイベントのはなし。今月にはやっと発刊できそう。僕にこの仕事をかなり自由に任せてくださった県の職員の方がいるのですが、とても丁寧に細かい事務処理を進めてもらい、結果僕は制作にとても集中できました。こんなに細かいことに目が届いて、しかもかなり広い視野で未来を見ている人が県の職員として在籍されていることにとても驚きました。取材をしていく上で機屋さんたちからの信頼の厚さがハンパじゃないことを目の当たりにしたら、とても納得がいきました。
本当に今回の抜擢には感謝の気持ちでいっぱいです。それだけに、BEEK以上によい冊子を作ろうとやってきました。

リリースできるのが楽しみ。さて、今日も編集頑張ろう。

IMG_8060s IMG_7226s

先日の大晦日の話ですが、創業明治元年の甲府のみそ屋、五味醤油さんで醤油の仕込みを取材&お手伝いしてきました。この日は出麹の日。
そもそも、五味醤油って名前でみそ屋ってどういうこと?ってなりますが、醤油は今はお休みしているから。もともとは醤油とみそを醸造してきたのですが、時代の流れの中で今はみそだけを作っているのです。「甲州みそ」という山梨ならではの米と麦がミックスされたみそ。くわしくはBEEK Issue04 「発酵している」を見てくださいね。

それはさておき、名前や数字にとてもこだわりのある五味醤油6代目が、ついに醤油作りはじめました。五味醤油と会社名に「醤油」が入っているし、まわりに醤油を作る職人や醤油を伝える人もいて、6代目が醤油を意識しないわけがないんです。
そして物語には始まりがあって、しょうゆを仕込む前に別の醤油屋さんに一緒に作れないかと話をしに行っているのです。
それは2014年の春にさかのぼります。6代目はこの頃、頭の中はだいたい醤油のことでいっぱいになっていました。ただ、醤油を造るにはお金もかかるし、設備や売り先はどうするんだってことがありました。そこでまず造る(五味醤油の蔵では設備が老朽化しているので、自社で全行程をまかなうのは無理なため)ところの協力を得ようと、東京の醤油メーカー「キッコーゴ」さんに共同で造れないかということを直談判しに行くことにしました。

IMG_0510 IMG_0514

ここから僕は一緒に手伝うことになるのですが、6代目が醤油を造るかどうか迷っている時、どうしても造ってほしいと僕は思ってしまったのです。業種は違うし規模も違うんですが、僕がBEEKを作りたいと思っていたときとなんだか似てるなぁなんて勝手に思ってしまって。僕も当時一人でできるか不安しかなかったのですが、それこそ最初の取材で出会った人にめちゃめちゃ助けられ(6代目もその一人)今までやってこれました。「醤油を造るべきでしょ」と6代目に言って、醤油を造るところからできあがって売るところまで最後まで手伝って見届けたいと思ったのです。

A5二つ折り_裏

キッコーゴさんには企画書もちゃんと造って、醤油造りを巻き込む人にも根回ししたのですが、結局このお話は流れることに。後にこの企画書を見た発酵デザイナーが「これ誰得なのよ」と言われたのですが、巻き込まれる人はぜんぜん得しない(笑) ただ得はしないけど、面白いでしょってことは胸はって言えます。胸はって言えるように、みんなで醤油を造っていきたいんです。たぶん、それこそが6代目の想いなんじゃないかと。この企画書に書いてある「人の濃い醤油」という言葉が個人的にとても好きです。

キッコーゴさんが無理なら、県内にも醤油屋はあるということで、県内の醤油屋さんの協力を得て醤油を造ることになりました。
そして2015年の年末、ついに6代目仕込みをはじめました。醤油の麹ができるまで、3日間かかります。僕は最後の出麹の日にしか行けなかったのですが、テンヨ武田の頼れる姉さんが、3日間つきっきりでお手伝いしてくれるという最高のおもてなし。姉さんチェックは日々醤油を見ているので的確です。

IMG_7829IMG_7616

いつもは味噌用の米麹、麦麹を造っている麹室で醤油の麹を造っています。醤油の原料は大豆と小麦。蒸した大豆と炒って砕いた小麦を混ぜたものに麹菌を加えます。3日かけてしょうゆ麹ができるのですが、それまでのあいだ、湿度や温度管理を徹底します。麹菌の繁殖にむらが出ないようにかきまぜたり、温度があがりすぎないように夜中も麹の手入れをしなければなりません。そして大晦日。6代目の愛ある手入れのおかげで、麹がモコモコできました。テンヨの姉さん曰く「元気すぎるくらいのいい麹」。げんき麹と名付けて、この麹を今度はほぐして塩水の中に放り込みます。大量の場合は木桶や大型のタンクになりますが、今回造る醤油はわりと小ロットなのでこちらの槽に。

IMG_7697IMG_7655

櫂棒でまぜまぜ。FRPの櫂棒を新調する気合いの入れよう。気合いを入れてまぜまぜ。前日五味醤油のインスタを見て手伝いたいと手をあげてくれる人がいたりと大晦日の醤油仕込みは快調にすすみました。

IMG_7739 IMG_7759 IMG_7847 IMG_7711

こうして醤油の諸味ができました。この諸味が微生物の力で発酵・熟成させて醤油になっていきます。最低1年は寝かせるのかな。さらに最後には諸味を搾るという工程もあるので、ここを無事にクリアできるかも重要なんです。発酵していく過程から、搾ってそれをどう売っていくか。たぶん、その間にもいろいろな人を巻き込んでいくと思うので、僕は勝手に「メディア化する醤油」という視点で見ています。こうやって造ることに参加することで、僕は今日こうやってブログを書いています。手伝った人がインスタにポストしたりもしています。広がりは今からですが、醤油というこれだけ手間もかかる調味料を「メディア」という視点で、できあがる醤油自体を「メディア」にできるのではないかと。それこそ、ふだん編集やデザインやメディアを造っている僕ができる最大のお手伝いかなと。
BEEKの発酵特集で醤油を造る井筒屋さんを取材した時に思ったのですが、醤油はほんとうに手間ひまと場所、時間かかる。仕込んだ全量が醤油にならない(でも搾りかすは家畜のエサになって循環しているそうです)。当たり前なんでしょうが、当たり前が伝わっていないという事実もあります。

なにはともあれ、どんな醤油になるか造った本人たちもわかっていません。ただ、“面白い醤油”になることだけは間違いありません。この醤油で大好きな餃子を食べるのが僕の来年の楽しみです。最後に大晦日に仕込んだメンバーとパシャリ。工場長、長靴とジャージの組み合わせ最高です。

IMG_7903IMG_7894

 

先日の12/12に「ローカルデザインの失敗」と題して、沖縄からIDEAにんべんの黒川さんご夫婦を甲府の文化のるつぼ へちまにお迎えしました。

IDEAにんべんさんのことはもうだいぶ前から勝手に知っていて(いろいろなデザイン関連本でその作品が紹介されていて、いいなーと共感できるデザインがだいたいにんべんさんだった)、ローカルデザインの大先輩としてずっとお会いしたい方でした。なにより、にんべんさんとはBEEK発刊の時からご縁があったのです。
BEEK創刊号を発刊したときに、たぶんTwitterでそのことを知った黒川さんがBEEKを読みたいと言ってくれるという奇跡が起こるのです。会いたいと思っていた人から連絡来たんですよ。その場でエイサーを踊ろうと思えるくらい嬉しかったのを覚えています。そしてBEEKができるたびに、毎回沖縄に送っていました。

そんな黒川さんご夫婦を山梨にお迎えできる日が来るとは夢にも思いませんでした。黒川さんと面識のあった発酵デザイナーの小倉ヒラクくん、そしてイベントを共催すること多い五味醤油の発酵兄妹との共同開催。こうやって山梨に同じ想いを持ってる仲間がいるのもとても心強くて嬉しかったんです。

トークの内容もそうなのですが、黒川さんご夫婦の人柄というか、もうその存在が全てを物語るイベントだったかなと思います。なのであえてトークの内容は書きません。内容が濃すぎて書けません。
山梨でデザインや編集を生業にしていこうと思った2年半前、沖縄でもう10年続けているにんべんさんがやってきたことを見ていて、勝手に背中を押されていたのを思い出しました。

黒川さんご夫婦には、初日甲府のゲストハウスBACCHUSに、2日目には清里の清泉寮に泊まって頂きました。
2日間山梨にいて「とてもコミュニティが成熟している」「こんなに面白い人が自然と集まるんですね」ということをおっしゃっていました。
そこまで言われると恐縮で多分そうじゃないところもいっぱいありますよーとツッコミを入れたかったけど、でもそう思ってもらえたことは単純に嬉しかったし、ひとつの真実なんだろうなと。

黒川真也さん、祐子さんにお会いできたことは僕のこれからのデザイン家業の人生でとても大きな糧になりました。地域に撒く種をもらったような、そんな気分。
まだまだデザインや編集でできること、丁寧に人の話を聞いていくこと、自分に正直でいること、そんなことを地道に地道に、あせらず、そして僕らしくやっていこうと思いました。

イベントに来て頂いた方々も本当にありがとうございました。聞いて頂ける方がいるからこそ成立します。ほんとうに感謝です。

0E3A4989IMG_6819 IMG_6831IMG_6853

先日、諏訪で開催された「まちの教室」に行ってきました。まちの教室については、諏訪のくらもと古本市に行った時にポスターで見てはじめて知りました。毎月第4土曜日に長野界隈のいたるところで開催していたとのこと。詳しくはこちらで。
http://www.naganocampus.net/about

午前中は友人の発酵デザイナー小倉ヒラクくんの授業。とても参加者からの評判がよかったとのことでしたが、こちらは仕事で行けず残念。
午後は秋田のフリーマガジン「のんびり」の編集長をしている藤本さんのお話。以前、あたらしい“ふつう”を提案する『Re:S』という雑誌を作っていて、リトルプレスが好きな僕はよく読んでいて、その誰にも似ていない編集の仕方がとても好きだったのです。

当日の藤本さんの話の内容を書き出すととても長くなるので、怠惰な僕は書けないのですが一言でいうとおもしろかった。
ふつうすぎる感想なんだけど、この「おもしろかった」という中に、様々な要素が含まれるタイプの「おもしろかった」でした。
ふつうって一番難しくてセンスもいるところ。その“ふつう”に身の回りがなるように地道にチャレンジングしているところはほんとにすごいことです。できそうでなかなかできない。僕らデザイナー、編集者がほんとは皆がやらなきゃいけないことだと思います。
紙切れ一枚だって不条理なこと多いですもんね。

さて、来週のローカルデザインの失敗で何を話せるか、今さらながら考えなきゃなー。

6月の泡

あっという間に1年の真ん中に突入。今年の抱負をまだ書いていない。ここ最近は毎年書いた抱負を上回る出来事が起こる。
先日大学の講義に出させていただく機会があり、学生を前に僕は「2週間先のこともわからない」と普通に本音をつぶやいた。先のことは日々の延長だし、今日があれば2週間後もあるはず。だから今日を生きよう、そんな偉そうな意味もこめて。就職のことを気にしている学生さんたちが多かった。でもほんと、10年後何の職についているか命中できる人はたぶん少ないと思う。
今年も6月がやってきた。まず抱負を書くことからはじめる。
(アイキャッチ画像はなんの関係性もありません。)