それは2月、立春を迎えてもまだまだ寒さが続く日のできごと。
この日はお休みの甲府のパタゴニアの南喫茶店にぼくは訪れました。
店に入ると店主の齋藤さん、パン屋「山角」のあっこさんが料理の仕込みに精を出していました。
パタゴニアの南喫茶店は3月13日をもって甲府のお店をクローズし、春には山梨から新しい地に旅立つことになりました。
今日ここに山角のあっこさんがいる理由は、齋藤さんの料理を“引き継ぐ”こと。そして齋藤さんもあっこさんのパンのつくりかたを吸収して日常のパンを焼こうということ。
あっこさんはパン屋として今は各地で行商をしていますが、春先からはカフェを開くことになるそうです。(パン屋の前はカフェオーナーなんですよね)
北杜市のとある工場跡地で、ゲストハウスやシェアオフィスなどが入る敷地の一画で。
そのカフェで、パタゴニアの南喫茶店で出していたぼくもいちばん好きなメニュー「豚のアマトリチャーナのパスタ」を齋藤さんから引き継いで提供していこうと考えたそうです。
あっこさんは齋藤さんのことを「わたしととても似ていて、気が合う」と評します。
会ってまだそこまで長くない二人なのですが、端から見ていてもたぶんそうなんだろうなと思います。見えないところを共有するには、特に歳月や性別もあまり関係ないのかもしれません。
そんなふたりの、食を継いでいく場面にぼくは出くわしたのです。招いていただいたというほうが正しいのですが。
誰かにとってはふつうの日常の時間ですが、きわめて個人的に大切なことがおこなわれている時間にこの場所にいれることはとてもうれしいことでした。
そんな日の記録をここにいま書いています。
料理に精通しているわけでもないぼくは、この日も気の利いた言葉を二人にかけたりはできませんでした。そんなことを求めていないだろうけど。
ぼくはふたりのこの作業を見守って、写真におさめていきました。時に、料理について、日々の暮らしについての話も交えながら。
パスタはすべて自家製。まるでうどんのようって表現したら失笑されました。
アマトリチャーナ用の平面と、ショートパスタもつくりました。手際がいいふたり。
料理には歴史や地域性がとてもあらわれていて、それはパスタにもパンにも言えその背景がみえる料理に興味をひかれるそう。
パスタもパンも“食べもの”という枠の外に人の痕跡がある。だからふたりとも人が好きなんじゃないか、なんて勝手に妄想をすることしかできませんでした。
ソースを煮込んでいる間に、パンの仕込み。
この日はあっこさんが前もって仕込んできた黒丸のパン種で、齋藤さんの家のオーブンでも焼けるパンを目指します。
まずは日常のパンが焼けるように。
できるだけ手で触る要素を少なくして整形していきます。
整形のあと、パンに入れるクープも齋藤さんがその場で考えて入れました。料理って想像力。
黒丸ともうひとつ、シナモンロールも作ることに。シナモンロールってこうやって作るんだーって感心。
多少メモをとりながらだったけど、感覚的にふたりはおたがいの領域のことをわかっているように思えました。そしてとても楽しそうに。食をお互い継承していくということだけど、友人にはなむけの言葉を投げかけるように、料理を作っていました。ぼくにはそんなふうに見えました。
パタゴニアの南で食べるごはんの時間。
そんなに何度も通っているわけではないのですが、ここの空間はほんとうに特別に思えます。すべての間がいいというのか。
食べるという行為でもちろん訪れるのですが、それ以外になにか持って帰れるものがあるような。
最果ての地という名前は、ここからまた何か始まるきっかけになるという意味もあります。
齋藤さんが新天地に行くように、あっこさんも新しいお店を始めるように。
齋藤さんの言葉にもあったのですが、物語はまだ続いています。
最果てから静かに始まる物語は、齋藤さんだけじゃなく、このお店に訪れていた全ての人に言えるのかもしれません。
店休日にとてもしあわせな食卓を囲むことができて、日々にこういう小さなしあわせがあることにとても感謝しています。
特に山梨に帰ってきてから、食べることを考える機会がとても増えたような気がします。
そこにパンがある、コーヒーがある、美味しいお酒がある、くだらない会話がある。
食べることは生きること。ただそんなことで、人は生きていけるのですね。
日常でおいしいパンを焼けるなんて、とてもしあわせなことだなぁ。
パタゴニアの南喫茶店のとある日の記録として、少しでも何か書き記せたのならこんなにうれしいことはありません。
誘ってくれたあっこさん、齋藤さんに心から感謝します。