誰もいないのにいるような、散文がここに残っているような。
5月の終わりの風が吹いた。真実をのせて、曖昧さをまとって。
去年は友人の声がけで奇跡的に出店で出れた名古屋の蒲郡でおこなわれた森、道、市場。
とても素敵なお店、音楽、そしてなにより会場全体に流れるゆるーい雰囲気を体感するため、今年は遊びに行ってきました。
やまなしから愉快な仲間7人と。行く直前に行くはずだった特攻隊長が行けなくなるというハプニングもありましたが。
久しぶりに会う人、会いたかった人、はじめましての人、いろいろな人に会えるほど全国各地から会いたい人が集まっているのもこのイベントならでは。
感想はいろいろ。でもとにかくゆるくて楽しいということがいちばんの印象。そのゆるさがハイクオリティというか。
遊びつつも、いろいろ感じるものを持って帰って来れた。また来年。
1年経ってしまいましたが、もう少しで最新号のBEEKができあがりそうです。
BEEKでは広告を入れず、お金をまわしていません。お金をもらわない仕事という位置づけで、今までまわしてきました。
ぼくが勝手に始めたことなのでぜんぜんかまわなかったし、とにかく今まで山梨になかったフリーマガジンを出したかったし、そこからデザインや編集の仕事に繋がっていくという流れはなんとなく思い描けていたから、ぜんぜんよかったのです。
ただBEEKはこれからも長く続けていきたいと思っています。
4号まで出して、BEEK自体がどんなコンセプトなのか、少しずつですが伝わっているような気がしています。
応援してくれる人にもリアルで会うことができて、とても力になっています。
だからこそ、無理なく続けていきたい。
そのためにBEEKの活動を応援してもらうというカタチでみなさんに協賛として募らせてもらおうと最近になって思うようになりました。
BEEKを伝えることで、街のみなさん、応援してくれる人のこともていねいに伝えられるように。
応援してもらう。
とてもとてもぼくにとって大きなことです。
今回のBEEKでは協賛を少しだけ集めさせてもらおうと思っています。会社、お店向けと個人の方用と別々で。
交流のある「鶴と亀」、「あいうえおぶせ」もしっかりとお金の面をクリアしてしっかりとした冊子を作っています。
ぼくは正直、お金に関わることを面倒くさがっていました。でもちゃんと応援してもらおうと思ったら、そんなことも言っていられませんよね。
協賛だけでなく、読者のみなさんに読みたいと思ってもらえることもとても大事なことだと思っています。
カタチはどうあれ、1年経っても忘れずにいてくれる人が多いことは、ほんとうにありがたいし感謝しかありません。
応援してもいいという方がいたらお声がけください。よろしくお願いします。
お問い合わせはこちらまで↓
あっというまに黄金週間。
なんとなく溜まっている仕事をしたり、ちゃんと休んだり、友人の結婚式に行ったり、海が見える街に本を届けに行ったり、写真を撮ったり、いつもの街を歩いてみたり。
ちょうど1年前、BEEKの04号の発刊イベントをしていたんだなと誰かのSNSの投稿で気づく。
自分からではなく、友人たちがイベントを催してくれました。
大勢の人に集まってもらえて、その日その時だけの時間を来た人と共有できたことはとても嬉しいできごと。
今までBEEKにわりと近くで関わってくれた人の言葉ももらえました。
ほぼBEEKはもらったときやばかったんですから。サプライズで渡されなくてよかった。涙もろい僕はよゆうで人前で泣きますよ。
本人がいないところで発せられたぼくへの印象はたぶんどれもほんとうで、どれも当たっている。
そう思ったひとの思ったことがすべてほんとうという意味で。
だいたい水みたいって言われてたけど。
あいかわらずリアクションが上手ではないぼくは、そのときの感動、感謝を友人たちに伝えきれたかはわからない。
BEEKという媒体をもっと広く伝えていくことで、その想いにこたえていきたいのです。
と、いいながら1年が経ってしまったけど、今年はBEEKとして攻めますよ。
風を感じるのが気持ちいい季節。いろいろな場所で風を感じていたい。
ぼくはある時期、壁ばかり写真を撮っている時期がありました。
壁。カベ。こっちとあっちを隔てる壁です。
東京にいた時なんですが、壁多いんですよね。
家も密集してるし、土地も狭いし、とにかく隔てるために壁がある。
下北沢や麻布あたり、けっこういい壁あって仕事の前にプラプラして壁を撮ってました。
壁は時にグラフィティのキャンバスにもなっていました。
街を歩いていると壁のことばかり気になっちゃうんですよね。
たぶん、壁を気にしていないと歩かないところまで歩きに行ったり。
視点をなにかひとつにフューチャリングして歩くと街も違って見える気がします。
以前、寺崎コーヒーの店主のりょうさんが話してくれたのですが、お店を始める前にコーヒースタンドができる空き店舗や空き家を甲府で探していたときに、コーヒースタンドができるかどうかという目線で街を見て回っていたら、とてもよい建物が残っていることや、街並のよさに気づいたと言っていました。
いつもの街も僕の目と、あなたの目では違って見えているのかもしれませんね。
街は最高の遊び場。
つい先日北杜市の津金にある明治カフェでうちあわせ。
ちょうど桜が満開という絶好のタイミング。明治カフェに来たのも久しぶりだったなー。
明治時代に建てられた学校を保存する目的でカフェがあったり2階の教室として使われていた場所ではイベントが開催されたり。
BEEKでもここで内沼晋太郎さんをお呼びしてトークイベントを開催したこともあったなぁ。もはやなつかしい。
当時の楽器や資料もたくさん残っています。古道具市にあったらいくらするんだろう…というものばかり。
いまはすべて貴重な資料となっています。
足踏みオルガンがとても多く残っていました。一緒にいた森ゆにちゃんと田辺玄くんのミュージシャンふたりはとても興味津々。
蓄音機で美空ひばりも聞かせてもらいました。
そして根津のピアノをひくゆにちゃん。ブルグミューラーなつかしかったー。
ちなみにぼくも9年くらいピアノ習っていたのですよ。
あたりまえのようにあった暮らしは、時代とともに変わっていきます。
便利なものはたくさん増えました。早く食べれるものもたくさん増えました。
技術の恩恵を受けてぼくらは暮らしています。
でも、手間や時間がかかることの中にある多くのことにも気づかないといけないんだろうな。
なおざりな暮らしはいつか自分に返ってきてしまうのだろうから。
もうすぐ山梨にUターンしてきて3年目が終わって4年目になります。
やまなしの暮らしはとても楽しいです。待つこと、育むことにも寄り添い、日々がとても愛おしく思えるようになりました。
それもこれも山梨に帰って来て出会ったひとたちのおかげです。
みなさんいつもほんとうにありがとう。
しごとの資料でいまてもとにある昭和32年発刊のサンデー山梨といういわゆる小さな街のタウン誌。
内容は若い経営者へのインタビュー、流行歌や映画の紹介、うまいもの、スポーツ、洋酒のはなし、推理小説、告知掲示板など、もりだくさん。
とがった視点もあって、なかなか面白いんです。
そして広告もおもしろい。macでデザインをしない時代、先人たちの考えがとても広告にあらわれています。
七賢さん、こんな広告また作りましょうよ。
当たり前は“慣れる”と当たり前になる。
慣れることはいいことかわるいことかはわからないけど、慣れないやりかたで自分のやっていることを見てみるのもおもしろい。
やっていることは時代が変わっても一緒。やり方、プロセスの問題。
慣れていることも、俯瞰して視野を広げるとまだまだ可能性がいっぱい。
よく手に職という言葉がある。手に職があると職人と言われることも多い。
絵が上手なひと、パンを焼くひと、踊る人、家や家具をつくるひと、味噌や醤油や酒を醸造するひと、食をつくるひと、などなどたくさん。
ぼくは30数年生きてきたが、これといった手に職を持っていない。
パソコンでデザインできるなんて手に職だなんて思ったこともない。
持っていないからこそ、持っているひとたちのすごさがわかり、とてもかなわないとおもう。
性格上、そこに身を投じることもこの先無理だと思う。
ぼくがやっていることのひとつに編集がある。
編集とはすでにあるものとあるものを繋いで、あたらしい見え方を提示することだと思っている。DJがするリミックスともほど近いような。
または、整理整頓と判断の連続をしていき、よりよく物事が伝わるための仕込みだとも思っている。
編集というちからを借りることで、手に職はないけれどいろいろな人の想いをリミックスして、価値を一緒に想像していくことが役目だとおもう。
そんなことをしていきたい。
餅は餅屋ではないけれど、できることはできる人にまかせて、そんな人がまわり多くにいればそれほど心強いことはない。
生活の延長にしごとがあり、しごとの延長に生活がある。そんな生活が理想だと思っています。
ちょうど1年前からずっと心にへばりついて、今もたまに思い出してモヤモヤ考えることがある。
それはある人からの、ある質問で。
「土屋さんは自分と同業者(地域のデザインをやっている人)の違いはなんだと思う?」
その場でとっさに考えるも、取り繕ったような返ししかできず、自分で納得するこたえをそのときに出せなかった。
もちろん質問をしたホトリニテ宿主も納得してはいなかった。
それからというもの、ことあるごとにその質問の真意を考えるようになった。
ぼくのやっているデザインや編集は、他の地域の人とどう違うのか。そもそも違う必要があるのか?
デザインや編集を都会で身につけ田舎に帰ってその力を存分に発揮している方々は多くいる。
ぼく自身、尊敬するローカルデザイナーが何人かいて、その人の背中を見ていて自信を持てたことも多い。
地域でフリーペーパーをつくってそこから仕事に結びつけている人ももちろんいる。
じゃあぼくは何が違うのか? 違うところなんて見つからないじゃないか。
それから1年。
多くの人に会ってはなしを聞いて、僕なりの伝えるという仕事をしてきた中で現時点での到達点。
今まで意識していなかった自分の人や仕事に対する“行為”がひとつの型になり、それが人との違いに結びつくのではないかなと思うようになった。
もっとわかりやすいこたえは? と言われると、実物がないから見ることができないし、つねに流れていくつかみ取れないようなものなので口に出したとたん変質し陳腐なものになりさがる気がしている。と、書いているだけで言い訳のようにも聞こえる。
自分の型。自分の行為。
本質は空であり不変のものなどないという「色即是空」という僕の座右の銘は、空であるのだろうが考え方自体は仏教という枠組みの中にあった。
ぼくは、ぼくなりの色即是空を持っている(悟れないけど)。
なんか、そんなことじゃないのかな。違うかもしれないけど、それを納得してもらえる行為を増やしていく。
ぼくにはやるべきと思っていて、まだできていないいくつかのことがある。
それを達成させるための行為から、こたえの欠片を伝えられたらいいなと。
また、ゆっくり話しましょうね。
山梨のハタオリ産地の人や暮らしを伝えるLOOM。
半年かけて紡いだこの冊子の山梨でのお披露目会として、甲府の文化のるつぼ へちまで音楽会を開催しました。
取材期間、産地に通っているとどこの工場でもハタオリのガッシャン、ガッシャンという音が聞こえてきました。
ぼくにはまるでそれがハタオリのうたに聞こえたんです。
工場によって、織るものによっても違うその音たち。昔は街全体で響いていたといいます。
音と切り離せない織るという営み。
LOOMも作って配って終わりということではなく、音楽を通して伝えることもできるのではと思いました。
演奏は甲府在住の音楽家、田辺玄くん(WATER WATER CAMEL)と森ゆにさんにお願いしました。
音楽会の前に、機屋さんに伺って実際の織機の音を録音したり、ハタオリうたという民謡をあたらしくアレンジしてもらったり。
なんとライブではハタオリをフューチャーした新しい曲、その名も「LOOM」が披露されました。
織機の音をリズムとしてバックに、ゆにさんの優しい歌声が響きました。
機屋さんの今までの苦労と喜びをすべてひっくるめて昇華させていくようなうた。
最後は僕と写真家・砺波周平さんのLOOMで撮った写真をスライドにして、それに音を重ねていきました。
時代(いま)を織る。
LOOMにつけたコピーです。
今は過去がつくり、未来は今がつくるものだおもっています。
この時代に生きる機屋さんは、過去を紡ぎ、今を生き、そして未来へ繋げていくという使命をおって日々の営みに励んでいます。
取材でお会いした機屋さんはみな朗らかで、足踏みをそろえて前を向いている方たちばかりでした。
会場に来ていただいた方々には、何か感じるものを持って帰ってもらえたならそれが一番うれしいことです。
僕自信、音楽にここまで感情を揺さぶられたのははじめてのことかもしれません。
会場に多く来てくれた機屋さん、ハタ女のみなさんの終わったあとの笑顔で会話している姿が忘れられません。ほんとうによかった。
僕にとって、山梨に帰ってきてほんとうによかったと思えるできごとのひとつになりました。
ぼくはこれからも、伝えるという仕事をやっていけそうです。
それは2月、立春を迎えてもまだまだ寒さが続く日のできごと。
この日はお休みの甲府のパタゴニアの南喫茶店にぼくは訪れました。
店に入ると店主の齋藤さん、パン屋「山角」のあっこさんが料理の仕込みに精を出していました。
パタゴニアの南喫茶店は3月13日をもって甲府のお店をクローズし、春には山梨から新しい地に旅立つことになりました。
今日ここに山角のあっこさんがいる理由は、齋藤さんの料理を“引き継ぐ”こと。そして齋藤さんもあっこさんのパンのつくりかたを吸収して日常のパンを焼こうということ。
あっこさんはパン屋として今は各地で行商をしていますが、春先からはカフェを開くことになるそうです。(パン屋の前はカフェオーナーなんですよね)
北杜市のとある工場跡地で、ゲストハウスやシェアオフィスなどが入る敷地の一画で。
そのカフェで、パタゴニアの南喫茶店で出していたぼくもいちばん好きなメニュー「豚のアマトリチャーナのパスタ」を齋藤さんから引き継いで提供していこうと考えたそうです。
あっこさんは齋藤さんのことを「わたしととても似ていて、気が合う」と評します。
会ってまだそこまで長くない二人なのですが、端から見ていてもたぶんそうなんだろうなと思います。見えないところを共有するには、特に歳月や性別もあまり関係ないのかもしれません。
そんなふたりの、食を継いでいく場面にぼくは出くわしたのです。招いていただいたというほうが正しいのですが。
誰かにとってはふつうの日常の時間ですが、きわめて個人的に大切なことがおこなわれている時間にこの場所にいれることはとてもうれしいことでした。
そんな日の記録をここにいま書いています。
料理に精通しているわけでもないぼくは、この日も気の利いた言葉を二人にかけたりはできませんでした。そんなことを求めていないだろうけど。
ぼくはふたりのこの作業を見守って、写真におさめていきました。時に、料理について、日々の暮らしについての話も交えながら。
パスタはすべて自家製。まるでうどんのようって表現したら失笑されました。
アマトリチャーナ用の平面と、ショートパスタもつくりました。手際がいいふたり。
料理には歴史や地域性がとてもあらわれていて、それはパスタにもパンにも言えその背景がみえる料理に興味をひかれるそう。
パスタもパンも“食べもの”という枠の外に人の痕跡がある。だからふたりとも人が好きなんじゃないか、なんて勝手に妄想をすることしかできませんでした。
ソースを煮込んでいる間に、パンの仕込み。
この日はあっこさんが前もって仕込んできた黒丸のパン種で、齋藤さんの家のオーブンでも焼けるパンを目指します。
まずは日常のパンが焼けるように。
できるだけ手で触る要素を少なくして整形していきます。
整形のあと、パンに入れるクープも齋藤さんがその場で考えて入れました。料理って想像力。
黒丸ともうひとつ、シナモンロールも作ることに。シナモンロールってこうやって作るんだーって感心。
多少メモをとりながらだったけど、感覚的にふたりはおたがいの領域のことをわかっているように思えました。そしてとても楽しそうに。食をお互い継承していくということだけど、友人にはなむけの言葉を投げかけるように、料理を作っていました。ぼくにはそんなふうに見えました。
パタゴニアの南で食べるごはんの時間。
そんなに何度も通っているわけではないのですが、ここの空間はほんとうに特別に思えます。すべての間がいいというのか。
食べるという行為でもちろん訪れるのですが、それ以外になにか持って帰れるものがあるような。
最果ての地という名前は、ここからまた何か始まるきっかけになるという意味もあります。
齋藤さんが新天地に行くように、あっこさんも新しいお店を始めるように。
齋藤さんの言葉にもあったのですが、物語はまだ続いています。
最果てから静かに始まる物語は、齋藤さんだけじゃなく、このお店に訪れていた全ての人に言えるのかもしれません。
店休日にとてもしあわせな食卓を囲むことができて、日々にこういう小さなしあわせがあることにとても感謝しています。
特に山梨に帰ってきてから、食べることを考える機会がとても増えたような気がします。
そこにパンがある、コーヒーがある、美味しいお酒がある、くだらない会話がある。
食べることは生きること。ただそんなことで、人は生きていけるのですね。
日常でおいしいパンを焼けるなんて、とてもしあわせなことだなぁ。
パタゴニアの南喫茶店のとある日の記録として、少しでも何か書き記せたのならこんなにうれしいことはありません。
むかしずっと愛用していたフィルムのコンパクトカメラGR1を最近ひっぱりだして、ずっと入っていたフィルムを現像してみたら…。
出てきた写真は4年前の写真いろいろ。そんなにこのカメラに触る機会がなかったのかぁとちょっと唖然。
4年放っておいてもふつうに現像できるもんですね。
これからはちゃんと使って、ただのくだらなくてどうでもいいような日常を撮っていきたいな。