だれでもない、どこにもないぜ
僕だけの光と影
闇の向こうの光を見に行こう
光と影
(ハナレグミ「光と影」)
写真を見て、ふと頭にこの曲がよぎったのです。アテンドしたこの場所は、誰にも教えたくない静かな場所でした。
聞かせてほしい、君の中にある光と影。
1年ぶりとなるBEEKを発刊することができました。Issue 05「写真と日々」という特集です。
今まで半年に1回発刊してきたのですが、今回はその間にLOOMを編集させていただいたり、写真というテーマの奥深さ・広さにとまどい編集作業がぜんぜん進まないとう事態に陥ったりで発刊が遅れてしまいました。
写真をテーマにしようと思ったきっかけはいくつかあるのですが、おおまかに言うとローカルで写真を撮る、見るということを考えてみたかったからです。
写真の企画を考える時に守備範囲が広い写真というテーマを掘り下げてもしょうがないと最終的に思うようになりました。
仕事を抜きにしたら、写真にプロ、アマという境界線はなくてもいいじゃないですか。誰かが何気なく撮った写真が、時にどんな有名な写真より自分に影響を与えることもありました。山梨に住んでいる誰かの日々の写真から、山梨を伝えたら面白いような気がして「写真と日々」という特集タイトルが決まりました。このタイトルが決まってからは、とても気が楽になり、そして編集作業も一気にはかどりました。
今回のBEEKに写っている誰かの日々の写真の舞台はすべて山梨です。
インスタグラムで#BEEK05のタグでたくさんの投稿が集まりました、その数1500枚以上! ほんとうにありがたや。全部は載せられないのが心苦しいのですが、みなさん人それぞれとても特徴のある写真を撮っていました。
今回は企画の写真もほとんど人に撮ってもらいました。「日々のポートレイト」という企画では甲府出身のフォトグラファー、丹澤くんに人選までお願いして参加してもらいました。
他にも山梨の外から来た人が撮るやまなしという企画では、尊敬するお二方にやまなしを切り取ってもらったり。
表紙のイラストは北杜市白州町にお店をかまえるbrevicauleの店主、中島静佳さんに描いていただきました。想像を超えてきた絵にとても感動して、この絵で表紙を飾れるのがとても嬉しかったです。
いろいろな人の協力でできた今回のBEEK。もしかしたらこの号だけを見たらBEEKとして何をしたいのか、あまりよくわからないかもしれません。
今後10号まではBEEKは必ず続けたいと思っているのですが、その流れの中で見てもらえた時に、全体の流れの中で写真と日々という特集の位置づけはとても重要な号になったと僕自身は思っています。
ということで次号も半年以内に出せるように頑張らなくては。次はBEEKが作る「鶴と亀」。地域がつながるフリーペーパーをつくります。
もう1ヶ月も前になりますが、2泊3日で沖縄に行ってきました。そこで得たことが大きすぎて、書こう書こうと思って何度も文章を前にしたのですが、言葉にしきれませんでした。なので、もう写真日記のように想い出をつらつらと。
きっかけはいろいろあるのですが、一番は黒川真也さん、祐子さんのユニット「IDEA にんべん」さんに会いに行きたかったというのが大きいです。
半年前に「ローカルデザインの失敗」というイベントを山梨で催して、その際にゲストでお呼びしたご縁がその後もよいカタチで続いていました。
はじめて観光ではない目線で沖縄を見ることができた旅。
今回は主に「沖縄発酵ツアー」というくらい発酵に関わる人に会いに行くことが多かったです。でもぼくの目線は「沖縄の人や暮らしを伝える」にんべんさんのしごとの奥深さを垣間見る「沖縄ローカルデザインツアー」と勝手に位置づけていろいろな話を聞いたりその土地を見たりしていました。
ぼくはIDEA にんべんさんに直接出会う前から、やっているデザイン/編集の仕事とそのスタンスにとーーっても刺激を受け、おおいに影響されていました。
山梨に帰って僕も同じデザインや編集でやっていこう、やっていけるはずと思えたのは、にんべんさんがすでに沖縄でやっていたことに背中を押されたというのが大きいからです。
知り合ったから言うとかではなく、ほんとうにそうだったんです。
そんなアイデアにんべんのお二人に、アテンドまでしてもらえるなんて僕にとってはとても一大センセーションな旅になったわけです。
メンバーは山梨からぼくを含めてこの4人。五味醤油の発酵兄妹こと、五味仁くん、洋子ちゃん、そして去年甲州市の塩山に引っ越して来た発酵デザイナーの小倉ヒラクくん。
最近いろいろなメンバーで県外に行くことも多いのですが、だいたいが年下ということに驚愕しているアラフォー編集長。
さてここからは写真でその模様をお届けします。あとは想像でお楽しみください。
ずっと行きたかった笑味の店。笑子さんの想いは、誰におもねるわけでもなく、自分が感じるまま料理に出ていました。そういった伝え方、ほんとうに大切だなーと身にしみました。
大宜味村でコーヒーを栽培している大五郎さん、芭蕉布をつくっているふさえさんご夫婦と。育んで、かたちを変えて伝えていく。伝えるべきことは生活の中にあるのだなぁと思いました。
沖縄唯一の醸造元の玉那覇みそさんにて。味噌屋や発酵デザイナーの興奮ぶり。独特の沖縄の発酵文化をもっと知りたくなりました。
petite rue(プチット・リュ)さんにて夜ご飯。なんと甲州ワインが飲めました。沖縄と山梨のご縁を感じつつ、おいしいご飯を堪能。いやー、ほんと美味しかった!
パン好き編集としては前々から行きたかった宗像堂へ行けたのは嬉しかったです。宗像さんにもBEEKの発酵号を渡してきました。とてもおいしいパンを大人買い。
豆腐ようのうりずん物産さん。気さくな人柄で豆腐ようの説明も面白い。山梨に行きますよーと言ってくれました。
とにかく吸収するものが多かった沖縄の旅。まとめようと思ったのにまとまらなかったのだけど、自分の頭や心の中では常にこの旅での体験が活きています。にんべんさん、沖縄で出会ったみなさん、ほんとうにありがとうございました。また遠くないうちに再訪したいです。
PieBooksさんから発売された「ご当地発のリトルプレス」。
47都道府県からあつめた地域を伝える冊子が一同に。うれしいことに山梨からはBEEKを紹介してもらえました。
BEEKをはじめたきっかけは、他の地域のフリーマガジンやリトルプレスが好きで集めていて、せっかく山梨に帰ってきたし自分が見たい冊子を作ろうと思ったのが理由のひとつです。
ぼくが東京に25歳くらいで出たきっかけは、とにかく雑誌が作りたかったから。
山梨が好きで過ごしやすくで出たい気持ちなんてまったくなかったけど、山梨では雑誌の仕事をほんとうの意味ではできなかったから。
そして10年くらい東京で雑誌を作ったりデザイン・編集を続けてきた糧が、いまのぼくの下地です。
BEEKをつくりだして、他の地域の方々とも繋がりができたこともとても大きなことです。
影響を受け続けたフリーペーパーから知らなかった冊子まで、ほんとうに地域によっていろいろな媒体があって面白いです。
BEEKとはまた違った視点のリトルプレスをいつか作ってみたいなーと思ってしまいました。
新しいBEEK、そろそろ出ます。
去年は友人の声がけで奇跡的に出店で出れた名古屋の蒲郡でおこなわれた森、道、市場。
とても素敵なお店、音楽、そしてなにより会場全体に流れるゆるーい雰囲気を体感するため、今年は遊びに行ってきました。
やまなしから愉快な仲間7人と。行く直前に行くはずだった特攻隊長が行けなくなるというハプニングもありましたが。
久しぶりに会う人、会いたかった人、はじめましての人、いろいろな人に会えるほど全国各地から会いたい人が集まっているのもこのイベントならでは。
感想はいろいろ。でもとにかくゆるくて楽しいということがいちばんの印象。そのゆるさがハイクオリティというか。
遊びつつも、いろいろ感じるものを持って帰って来れた。また来年。
1年経ってしまいましたが、もう少しで最新号のBEEKができあがりそうです。
BEEKでは広告を入れず、お金をまわしていません。お金をもらわない仕事という位置づけで、今までまわしてきました。
ぼくが勝手に始めたことなのでぜんぜんかまわなかったし、とにかく今まで山梨になかったフリーマガジンを出したかったし、そこからデザインや編集の仕事に繋がっていくという流れはなんとなく思い描けていたから、ぜんぜんよかったのです。
ただBEEKはこれからも長く続けていきたいと思っています。
4号まで出して、BEEK自体がどんなコンセプトなのか、少しずつですが伝わっているような気がしています。
応援してくれる人にもリアルで会うことができて、とても力になっています。
だからこそ、無理なく続けていきたい。
そのためにBEEKの活動を応援してもらうというカタチでみなさんに協賛として募らせてもらおうと最近になって思うようになりました。
BEEKを伝えることで、街のみなさん、応援してくれる人のこともていねいに伝えられるように。
応援してもらう。
とてもとてもぼくにとって大きなことです。
今回のBEEKでは協賛を少しだけ集めさせてもらおうと思っています。会社、お店向けと個人の方用と別々で。
交流のある「鶴と亀」、「あいうえおぶせ」もしっかりとお金の面をクリアしてしっかりとした冊子を作っています。
ぼくは正直、お金に関わることを面倒くさがっていました。でもちゃんと応援してもらおうと思ったら、そんなことも言っていられませんよね。
協賛だけでなく、読者のみなさんに読みたいと思ってもらえることもとても大事なことだと思っています。
カタチはどうあれ、1年経っても忘れずにいてくれる人が多いことは、ほんとうにありがたいし感謝しかありません。
応援してもいいという方がいたらお声がけください。よろしくお願いします。
お問い合わせはこちらまで↓
あっというまに黄金週間。
なんとなく溜まっている仕事をしたり、ちゃんと休んだり、友人の結婚式に行ったり、海が見える街に本を届けに行ったり、写真を撮ったり、いつもの街を歩いてみたり。
ちょうど1年前、BEEKの04号の発刊イベントをしていたんだなと誰かのSNSの投稿で気づく。
自分からではなく、友人たちがイベントを催してくれました。
大勢の人に集まってもらえて、その日その時だけの時間を来た人と共有できたことはとても嬉しいできごと。
今までBEEKにわりと近くで関わってくれた人の言葉ももらえました。
ほぼBEEKはもらったときやばかったんですから。サプライズで渡されなくてよかった。涙もろい僕はよゆうで人前で泣きますよ。
本人がいないところで発せられたぼくへの印象はたぶんどれもほんとうで、どれも当たっている。
そう思ったひとの思ったことがすべてほんとうという意味で。
だいたい水みたいって言われてたけど。
あいかわらずリアクションが上手ではないぼくは、そのときの感動、感謝を友人たちに伝えきれたかはわからない。
BEEKという媒体をもっと広く伝えていくことで、その想いにこたえていきたいのです。
と、いいながら1年が経ってしまったけど、今年はBEEKとして攻めますよ。
風を感じるのが気持ちいい季節。いろいろな場所で風を感じていたい。
ぼくはある時期、壁ばかり写真を撮っている時期がありました。
壁。カベ。こっちとあっちを隔てる壁です。
東京にいた時なんですが、壁多いんですよね。
家も密集してるし、土地も狭いし、とにかく隔てるために壁がある。
下北沢や麻布あたり、けっこういい壁あって仕事の前にプラプラして壁を撮ってました。
壁は時にグラフィティのキャンバスにもなっていました。
街を歩いていると壁のことばかり気になっちゃうんですよね。
たぶん、壁を気にしていないと歩かないところまで歩きに行ったり。
視点をなにかひとつにフューチャリングして歩くと街も違って見える気がします。
以前、寺崎コーヒーの店主のりょうさんが話してくれたのですが、お店を始める前にコーヒースタンドができる空き店舗や空き家を甲府で探していたときに、コーヒースタンドができるかどうかという目線で街を見て回っていたら、とてもよい建物が残っていることや、街並のよさに気づいたと言っていました。
いつもの街も僕の目と、あなたの目では違って見えているのかもしれませんね。
街は最高の遊び場。
つい先日北杜市の津金にある明治カフェでうちあわせ。
ちょうど桜が満開という絶好のタイミング。明治カフェに来たのも久しぶりだったなー。
明治時代に建てられた学校を保存する目的でカフェがあったり2階の教室として使われていた場所ではイベントが開催されたり。
BEEKでもここで内沼晋太郎さんをお呼びしてトークイベントを開催したこともあったなぁ。もはやなつかしい。
当時の楽器や資料もたくさん残っています。古道具市にあったらいくらするんだろう…というものばかり。
いまはすべて貴重な資料となっています。
足踏みオルガンがとても多く残っていました。一緒にいた森ゆにちゃんと田辺玄くんのミュージシャンふたりはとても興味津々。
蓄音機で美空ひばりも聞かせてもらいました。
そして根津のピアノをひくゆにちゃん。ブルグミューラーなつかしかったー。
ちなみにぼくも9年くらいピアノ習っていたのですよ。
あたりまえのようにあった暮らしは、時代とともに変わっていきます。
便利なものはたくさん増えました。早く食べれるものもたくさん増えました。
技術の恩恵を受けてぼくらは暮らしています。
でも、手間や時間がかかることの中にある多くのことにも気づかないといけないんだろうな。
なおざりな暮らしはいつか自分に返ってきてしまうのだろうから。
もうすぐ山梨にUターンしてきて3年目が終わって4年目になります。
やまなしの暮らしはとても楽しいです。待つこと、育むことにも寄り添い、日々がとても愛おしく思えるようになりました。
それもこれも山梨に帰って来て出会ったひとたちのおかげです。
みなさんいつもほんとうにありがとう。
ふだん生活している中で、実体のない見えないものが意外とさくさんある気がする。
人間にとって見えないということは不安でしかなく、形あるものに置き換えられる。
信用は見えないからお金にかえられたり、人の気持ちも見えないから贈り物になったり、夢も見えないから安定したしごと、夢のマイホームなんかになってしまう。本を読んで得た知識も見えないからまた本を書く。創作意欲の源になる熱量もそのままでは見えないから、絵や器や家具やその他いろいろな形あるものとして表現されているみたい。
つまりは人に認識されるために形になる。見えないものの可視化の集合体が社会になっている、ようにもみえる。
見えないとなると、どうしても見たくなるという人間の欲。
でも表面が見えることと、深淵まで見通せる目はまったく違うような。
せかいは複雑なようで単純だと思っている。
単純だからこそ深淵に通じる。そこは圧倒的な孤独なのかもしれない。
みえないものは見えない。
でも見えないからといって“ない”わけではない。ないわけではないものを抱えて、今日もぼくは生きている。
さっき冷蔵庫に隠されていたシュークリームは簡単に見つかった。
甘いものが大好きなのはすぐバレる。
しごとの資料でいまてもとにある昭和32年発刊のサンデー山梨といういわゆる小さな街のタウン誌。
内容は若い経営者へのインタビュー、流行歌や映画の紹介、うまいもの、スポーツ、洋酒のはなし、推理小説、告知掲示板など、もりだくさん。
とがった視点もあって、なかなか面白いんです。
そして広告もおもしろい。macでデザインをしない時代、先人たちの考えがとても広告にあらわれています。
七賢さん、こんな広告また作りましょうよ。
当たり前は“慣れる”と当たり前になる。
慣れることはいいことかわるいことかはわからないけど、慣れないやりかたで自分のやっていることを見てみるのもおもしろい。
やっていることは時代が変わっても一緒。やり方、プロセスの問題。
慣れていることも、俯瞰して視野を広げるとまだまだ可能性がいっぱい。
移住のニュースタンダードを掲げるウェブマガジン「雛形」さん主催のスナック雛形というイベントに1日限りのスナックオーナーとして立たせてもらってきました。
雛形にはぼくの山梨に帰ってきてからの活動を取材してもらっています。
1日かけてその土地の人とも触れ合いながら、ていねいに取材をしてくれました。
(雛形での記事 → https://www.hinagata-mag.com/comehere/4134 )
そんな雛形さんが、ウェブ読者のリアルな声を聞きたいと企画したのが今回のスナック雛形。
雛形に今まで掲載された地域の人がその土地の地酒を持って1日マスター、ママになり、お酒を振る舞いながら気軽に地域の話をしませんかーというのがイベントの趣旨でした。
ぼくは「さんてん」という山口県萩市のゲストハウスrucoの塩満くん、山形の家具リペアデザイナーの須藤くん、山梨の五味醤油6代目の五味ちゃんの3人が集まったユニットと一緒にブースに呼んでもらいました。ぼくは友人のマルサン葡萄酒の若尾さんがつくるワイン、百(赤・白)、五味ちゃんは四恩醸造のワインを携えて。
おきゃくさんで来た人はそれぞれの理由で話をしに来てくれました。
いま東京で働いているけどいずれ地元に戻りたいという人、2拠点での活動を実際している人、東京にいるけど地方が気になっているという人、rucoの塩満くんのところに泊まりにいって塩満くんが東京来るならといって会いにきた人(これが一番多かったかも。塩満効果)、とりあえずワインや山形、山口の日本酒飲みたい、などなど。
ぼくも山梨にいつか戻りたいと言ってくれた方や、学生さんで地元が山梨で就職先をいろいろ考えているなんて人から、はじめてBEEKを見てくれた人とフリーペーパー談義をしたりととてもよい話がたくさんできました。ひさしぶりに東京の友人(Tokyo graffiti時代)にも会えて嬉しかったなぁ。
山梨からお手伝いの仲間も来てくれたり、さんてんのみんなも住んでいる場所は遠いけど以前から交流があり、とてもいい雰囲気でスナックができました。
日頃からこんな交流がでてきることが、いまさらながらありがたいし嬉しいしなぁと。
それもこれもぼくにとってはBEEKを作りだしたことがきっかけなので、なかなか遅れている新しいBEEKもていねいにつくっていきたいなとあらためて思いました。
二次会にはなぜか最近甲府にもよくあらわれる、みんなのアイドルGも。
そんな東京での1日。とにかく呼んでくれた雛形さん、ありがとうございました〜。
よく手に職という言葉がある。手に職があると職人と言われることも多い。
絵が上手なひと、パンを焼くひと、踊る人、家や家具をつくるひと、味噌や醤油や酒を醸造するひと、食をつくるひと、などなどたくさん。
ぼくは30数年生きてきたが、これといった手に職を持っていない。
パソコンでデザインできるなんて手に職だなんて思ったこともない。
持っていないからこそ、持っているひとたちのすごさがわかり、とてもかなわないとおもう。
性格上、そこに身を投じることもこの先無理だと思う。
ぼくがやっていることのひとつに編集がある。
編集とはすでにあるものとあるものを繋いで、あたらしい見え方を提示することだと思っている。DJがするリミックスともほど近いような。
または、整理整頓と判断の連続をしていき、よりよく物事が伝わるための仕込みだとも思っている。
編集というちからを借りることで、手に職はないけれどいろいろな人の想いをリミックスして、価値を一緒に想像していくことが役目だとおもう。
そんなことをしていきたい。
餅は餅屋ではないけれど、できることはできる人にまかせて、そんな人がまわり多くにいればそれほど心強いことはない。
生活の延長にしごとがあり、しごとの延長に生活がある。そんな生活が理想だと思っています。