BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

BEEK Blog

気づいたら今年もいろいろな場所で集合写真をかなりの数撮っていました。
(ここに載ってるのはまだまだ一部です)
なんか気づくとカメラを持っているぼくが写真を撮る流れになっているという。ええ、それも嬉しいんですよ。
こうやってみるといろいろな場所で撮っているなぁ。
自分で「集合写真撮りましょー」と言ってみることも増えました。趣味は集合写真を撮ることって言おうかな。

いつもカメラをぶらさげているおじさん。
写真で何かを伝えたい、記録を少しでも残したいと想っていれば、写真の「プロ」とかそんな境界はぼくは何の関係もないと思っています。あ、でもお金をもらう職業と考えると関係あるのかな。フィルムカメラでもちゃんと残していこうという想いも最近よみがえりました。

来年もBEEKと写真と日々を。

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つい最近までタイヒバンで料理を振る舞っていた料理家でみんなのおかあさん、森本桃世さんが山梨に来た。五味醤油のKANENTEをジャックして、3日間発酵をテーマにワークショップの先生をするために。桃さんには東京で僕がホストで出演したトークショーの時に、ケータリングで山梨の食材を使って料理を作ってもらった。ぼくはタイヒバンには行ったことなかったのではじめて桃さんの料理をそのイベントの時に食べたのだけど、ほんとうに美味しくて。ほんとうに美味しい料理は、想い出ごと脳裏に焼き付いた。匂いやその時の空気感まで脳に焼き付けられた。

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美味しいって美しい味。美しさって味を感じる味覚からしたらいらない要素なのかもしれない。
でも美しさって、その場だったり盛りつけだったり一緒に食べる相手だったり、外部要因としてとても重要なことなんですよね。
食べることを楽しむことが、人生を楽しむことに直に繋がるのかもしれない、と本気で今は思うようになった。

今日も何かを食べる、食べる、食べる。これからも食べる、食べる、食べる。食べることは生きること。できるかぎり、美味しい時間を。

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場所

最近場所が気になる。
場所とはつまり空間。その空間の中に、その人がやりたいことや伝えたいこと、目指す未来が詰まっている場所には自然と魅かれるし、何度も訪れたくなる。敷居の高さというか訪れるのに「よし行くぞ」と心の袂を正す場所もあれば、ふらっと寄ってみたくなる気軽に行けるマテリアルが埋め込まれている場所もある。
空間とは、空の間。もとは空っぽの場所にどれだけの“間”をもたらせるか。場所をもっていないぼくは、とても気になっている。そして、場所を欲しいと思うようになっている。

BEEKは今はフリーペーパーとしてしか存在していないけど、このメディアを育てていく過程の先に、絶対的に場所は必要だと考えている。編集という力を借りて仕事をしているからこそできる場所づくり。小さくはじめた場所を育てていく。
友人たちも少しずつ動き出している。BEEKとしてできること。街に溶け込むようにそこにあること。

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富士吉田のハタフェスで「ハタオリマチノキオク」という写真展を企画して、歴史もある街の記憶を写真という記録にして残して街に反映させようと。
写真はご縁がめぐって濵田英明さんに撮ってもらいました。濱田さんとは1年ちょっと前に北杜市で手伝ったkinfolkのイベントでご一緒していたのですが、濱田さんの写真が好きでただのファンだったぼくはそのときはあまり話ができずじまい。今回は音楽会に出る田辺玄くんたちとの交流もあったので、引き受けてもらえました。

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撮影も同行して濱田さんが写真と向き合う強さを肌で感じました。
撮る、という行為。残したい、という気持ち。記憶が記録に宿る瞬間。

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ぼくもこれからさらに写真に、自分なりに向き合おうと思いました。
いったい自分は何を残したいのだろう、と。

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富士吉田市主催の秋祭り「ハタオリマチフェスティバル」が11/12・13に開催されました。
ぼくは実行委員の一人として、企画からアートディレクション、当日の運営まで任してもらえました。
とにかく盛りだくさんの内容なので、当日の様子は日本のものづくりを伝えるメディア「しゃかいか!」さんが丁寧に、しかもロングな内容で記事にまとめてくれました。これを見ればだいたいのことがわかるので、お祭りの様子はこちらで。
終わってみて課題もいろいろ見えたのですが、両日天気もよくてよい雰囲気でいろいろな人に街を歩いてもらえたのが嬉しかったです。

しゃかいか! ハタフェス記事前編

しゃかいか! ハタフェス記事後編

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実行委員は主に僕と富士吉田の宿、SARUYAの赤松、さらに北杜市の僕の家の近所に引っ越してきた元手紙社の藤枝さんに声をかけてこの3人を中心に企画を進めました。
いまや富士吉田で実績を残した地元の顔の赤松、今まで手紙社で布博を立ち上げから担当しテキスタイルブランドに明るい藤枝さん。そんな頼れる2人と、どうやってお祭りを作り上げようかというところから話し合ってきました。
とにかく富士吉田市役所の富士山課の方々が、最初から最後まで僕らのような若輩者を信頼してくれて、予算も全て公開して託してくれて進められたのはとても大きなことでした。
今回声をかけてくれた富士山課の勝俣さんが、以前BEEKで作ったLOOMという織物を伝えるフリーペーパーのお披露目の音楽会に来てくれとても感動してくれました。それが今回のイベントに関わらせてもらう繋がりになったというご縁も嬉しかったです。
去年はLOOMで富士吉田の魅力を発見し、今年はその魅力をイベントという形で広めるお手伝いができました。LOOMを作っているときはまだ、ここまで街や人に反映することができるようになるとは思ってもいませんでした。

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僕は音楽会と写真展をメインで企画し、尊敬するアーティスト、クリエイターを呼べたことも嬉しかったし、アウトプットされた音楽と写真の力に心をつかまれて胸が熱くなりました。
音楽に田辺玄くん、森ゆにさん。そして写真と映像は山梨を撮ってほしいとずっと本気で思っていた方、濱田英明さん。計3日間吉田に通ってくれて、ハタオリマチのキオクを撮ってもらえました。
街を映像と音楽に反映させ、それが見事に融合していて素晴らしかった。来ていただいた方々にもその片鱗が伝わったのであれば、ぼくがやまなしで仕事をする意味がここにあったのだと思います。
大人数を呼ぶためのイベントではなく、少人数でも確かに伝わる人たちに、今の街のありのままを伝えることが目標でした。

img_6421 520a0663 520a0630来年もハタフェスを開催することが決定しました。
富士吉田や山梨をもっと知って、次回も多くの人にこの街を、山梨を楽しんでもらえるような場を作れる力をつけたいと思います。

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刹那

季節も時間もあっという間。もう後一ヶ月しか今年も残っていない。

自分ができることは、ほんのわずか。人生なんて目をつむって開ける間に終わってしまう。
言葉に押しつぶされそうになっても、確かにちゃんと生きていたい。たしかな不安は、たしかな未来をつくってくれると信じている。
とりあえず、ありがとう。そんな気分。

去年はアウトプットしかできなかったけど、今年はいろいろな場所に行けてインプットが多くできている、ような気がする。
どこの土地に行っても、そこにいる人が案内してくれる。そんな人の繋がりができていることが、今のすべて。

瀬戸内の波に揺られて思ったことは、山梨には海がないってこと。
あたりまえだけど、あたりまえがあたりまえじゃないってことも、重要なんだと思う。
編集やデザインが、その土地のあたりまえを解体して、再定義してくれる、はず。

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宿る

電気もないし、ガスもないし、天気予報だってないし、通貨もないし、学校ないし、花瓶もないし。

むかしむかし、それが日常だった時、人の心の奥にはなにがあったのだろう。
生きることは今も昔もサバイブ。
隣にあるスケジュールを気にしているぼくは、ぜんぜんサバイブしていない。地べたで寝ることを忘れてしまった獣は、抑制され作られたニセモノの文化に染まってしまう。

ほんとうの文化はその人自身に宿る、と思う。誰にも見えないからこそ、文化は消滅しない。

ところで、ディランがノーベル文学賞を受賞した。
でも1週間経っても彼と連絡がとれないらしい。
ディランの声が聞こえる。
「誰に評価されたいんだい?」

ずっと変わらない考え方。自分の中で定めているルールのような。
それはアップデートされるわけでもなく、新しくも古くもなく、すぐそこにあって、生きる指針になっている。
間違っているとか正解だとか、そんなことではなくて、ただただ大切なことなんですよ。

つい先日、山形県に行ってきました。いつも旅するメンバー5人で2泊3日で。
きっかけは山形で家具をリペアしたり、山形県内で山や森を舞台にしたツアーの企画やプロダクト製作などを企画するYAMAMORI PROJECTを立ち上げた須藤修くんが山形をアテンドしてくれるというところから。ちょうど山形ビエンナーレもやっている期間なので、それも含めて山形をまるっと感じようとみんなで思い立って。

img_3927▲須藤くんとは山梨ではじめて会って、その後もちょこちょこ山梨に来てくれていました。まだ知り合って1年とちょっとだけど、とてもよい交流ができています。

1日目は須藤くんがビエンナーレで「山の形」というお店を出店しているので、僕らだけで気になるところをまわってみました。情報源はだいたいdの山形design travel号。

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まずは、お昼ご飯を「コーヒーレストラン マリ」にて。
高い天井の吹き抜け、センスのある照明や太い梁や柱が店内に。40年前から変わらないというカレーを食べました。
けっこうカレーはいろいろなお店で食べるほうだけど、どこのお店にもないカレーでした。具はジャガイモとチキンが1個ずつのみ。
僕らが最後のお客だったので、店主のおかあさんが昔の近所の風景の話や、よい麦がとれるからそれをお皿で表現したことなどを話してくれました。
何度も何度も丁寧に。

img_3866 img_3865 「雨だけど山形を楽しんでください」。一見さんの僕らを最後、外に出て見送りまでしてくれました。幸先のよい旅のスタートを切れました。
お腹を満たして「東北芸術工科大学」へ。あとあとわかったことですが、この旅で出会った人は軒並みこの大学を出た人ばかりでした。山形の人材輩出基地。
写真を撮り忘れてしまったのですが、けっこう遠くからでも目立つ三角屋根の建物。
この日は学園祭とビエンナーレが入り交じって、文化のつるぼ化していました。そして、目に入ってきたこの言葉。

img_3883愛。日本に足りていない要素の1つ。
ここまで言いきれちゃうところがいいですね。「愛しあっているかい?」と、尊敬する忌野清志郎の言葉がふいに頭をよぎりました。愛は、つまり溢れる。言葉も、気持ちも溢れるもの。
なんだろう、芸術もそうなんでしょうが、文化をちゃんと担った大学なのだなとこの言葉から伝わってきました。熱き人々が集うには訳がある。
それなりの必然で物事は進んでいく。それなり、の。

img_3886芸工大から車を走らせて数分。やまがた藝術学舎スタジオには、全国のリトルプレスを集めた展示があります。BEEKもお声かけ頂いていて展示させてもらっているんです。
こんなに遠くから、見つけてもらって声がかかるなんて嬉しいなぁー。送った配布分のBEEK最新号もなくなっていました。
山形の誰かの手にわたって、山梨の人や暮らしが、きっかけでもよいので伝わるといいな。

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そして僕がなにげにこの日一番心待ちにしていた、アカオニデザインも入るトンガリビルへ。
これも甲府でできたご縁、アカオニさんに所属している写真家・志鎌さんに会いに。僕はこの日始めてでしたが、仕事で甲府に来ていろいろな場所をめぐってくれた志鎌さんは、五味醤油の発酵兄弟も撮影してくれていました。そんなご縁もあり、シャンソン物語という喫茶店で志鎌さんに会ったあと、トンガリビルへ。そしてアカオニデザインの事務所も案内してくれました。
自分がここ最近ローカルなデザインや編集に携わっていて、背中を押されていた人たちがいます。ぼくは純粋なグラフィックデザイナータイプではないので、他のデザイン会社に興味を持ったりとか少ないのですが、その中で会いたい、行ってみたいと思っていたのが、沖縄の「アイデアにんべん」さんと「アカオニデザイン」の2つでした。にんべんさんとは去年から交流ができるようになり、沖縄にも行ってにんべんさんの仕事の軌跡を辿ることができました。これはほんと僕にとって夢のような体験で。
そして、今回山形でアカオニデザインにもやって来れたという。
にんべんさんやアカオニデザインに出会ってしまったから言うのではなく、東京にいる頃からほんとうにそう思っていました。
行きたいって思ったり、口に出すと行けるものなんだなぁとあらためて実感。トンガリビルを出る時に、嬉しさあまって志鎌さんと記念写真。
山形のナイスなパッケージ、コンセプト、写真やロゴなど、アカオニデザインのデザインや編集が街に多くありました。デザインや編集が街に息づくことができる可能性を見せてくれています。
アカオニだけじゃない、山形県の他のデザインに携わる人や会社の気持ちも技術もとても高い。切磋琢磨している感がありました。

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志鎌さんが昔からSundae Booth名義として、その地の人々を撮る移動写真館「カメラ小屋」を僕はわりと追っている時期がありました。単純に志鎌さんが撮る人の写真が好きで撮ってもらいたいと思っていたのです。
東京の原宿で開催された時には、行こうと思ったけど、結局行けず。
旅を終え山梨に帰ってから志鎌さんとメッセージのやりとりをして、ぜひ山梨でカメラ小屋やりましょうという話になりました。本気でお呼びしちゃいますよ。
1日目はこれにて終了。夜は須藤くんの実家の宿に。とにかく朝のお餅はすごかった。お父さんの餅への情熱、山形への情熱をそのマイクパフォーマンスから読み取りました。
もうエンターテインメント。これを毎日って情熱すごすぎ。

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2日目は須藤くんが彼の日常の中でおすすめの場所を1日まるまるとアテンドしてくれることに。
このアテンドで山形の、須藤くん本人のホスピタリティを垣間見ることになりました。
さらっと工場の中に入ってそこのワイン作りを紹介したり、ファッションブランドではアパレルの成り立ちや生地の紹介までできていました。これってできそうで、なかなかできないもの。別の仕事の背景に深く入り込むというのは、本気で山形を、この人たちを紹介したいという人しかたぶんできないでしょう。
日常の関係性があるからこそ。

img_4128img_4142 img_41372日目の昼に、今まで食べたことのない美味しいおそばを食べました。「小滝そば ゆかりや」のふるっぱ。いわゆる、冷たい肉そばなんだけど、親鶏からとった出汁がさっぱりしているんだけどしっかりとした旨味がある。シンプルな懐かしいけど食べたことのない味、感動する味。ぼくのおこさまな単純な舌でもそう思わせてくれました。
食の記憶は旅の中でとても残るし、なにを誰と食べるか、とても大事なことだと最近とても思っています。

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山形の道を走っていて、目に入ってくるのは山。山、山、山。山梨にある山々とはまた違った山の雰囲気を感じました。
山岳信仰が古くからこの土地にはあり、山からはじまる山形を感じようとすれば、何日あっても足りなそう。民藝や人の暮らしにそれは残り、深く根づいているものだと街や人からも感じました。
それは形を変えて、土地に、人の意志の中に深く刻まれているような。
文化は長い時間をかけて、結局は人が紡いでいくものだと感じます。土地の記憶は確かに人に染み込んで、伝承されていく。
その人が持てるスキルを纏って。この3日間の旅は土地の記憶を人と時代を通して感じる旅なんだと、今このブログを書きながら思っています。

img_41732日目の最後、「GEA」(ギア)というアパレルショップに。紡績ニット会社、佐藤繊維が、もともと酒蔵だった石造りの建物を移築し工場として使用していた場所に開きました。糸づくりをしている会社が、ブランドを作り小売まで展開するという、すごい場所。建物が移築するってレベルじゃないほど大きい。スケールが大きすぎてその話を聞いて唖然としました。
お隣にある「GEA#2」では、山形の作家の食器やライフスタイルグッズ、書籍、家具の販売と、さらにはオシャレなレストランも。いやいや、ファクトリーショップとして先を行き過ぎています。
同じハタオリの街、富士吉田でここまで投資できる企業があるかといえば、もう規模が違いすぎて無理だなーと思い浮かべてしまいました。
どこを目指しているかによるのですが、たぶん向いている方向と現状は郡内地域と一緒なはずなんですよ。

img_4192 img_4193ここまでのものを作れる企業が“ある”ということがとても大きなこと。確実に日本の産業の未来を考えていますよ、このお店は。そして、どこよりも先に行こうとしている。
その姿の具現化がGEA。たぶん、溢れているんです。
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ちなみにこのお店の店長も、東北芸術工科大学の出身でした。須藤くんは、ここのお店のブランドの紹介までできる博識ぶり。見習うべきアテンド力。
山梨が誇るファクトリーブランド、オールドマンズテーラー、evam evaを知っていてくれていました。よいものは、地域を越えて知られている。LOOMをお渡しして、いつか山梨での再会を店長さんと約束。こういった繋がりが増えていくことが、旅の醍醐味かもしれません。

2日目はとにかく須藤くんの知っている人のところ、須藤くん自身が好きな場所に連れていってもらいました。週に何度も行く温泉、自分が一番好きだと思う農道、会ってほしい人たちがいる場所。
須藤くんがふだん感じている、ありのままの山形がそこにありました。もう、びんびん感じてしまいました。だって、本人がいたく日々のいとなみを楽しんでいるのだから。

そんな須藤くんの実家に2日間泊まっていたのですが、この家で育ったらそりゃもうこれだけのホスピタリティ出ちゃいますよね、という宿でした。
いろいろと細かいところがいきとどいているし、とにかくお風呂も朝のお餅つきもスケールが想像を超えてくる。
今からリニューアルも予定しているとのこと。リニューアルしたらまた来ますね。

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そして最終日。この日は一緒に行った五味醤油の6代目がどうしても行きたいとお願いして実現した、水戸部酒造さんの蔵の見学に。須藤くんもおすすめする、「山形正宗」を醸しています。
水戸部さんは2015年、仕込み蔵を100年以上ぶりに改装されました。日本の伝統的な建築技術も伝承し、その中で最新の技術を取り入れ、作業しやすさを優先しつつもデザインとして“美しさ”もしっかりと取り入れた蔵へと改装していました。外の人に見せるためではなく、自分たちが誇りを持って働くために。(水戸部酒造さんはふだん工場見学をしていないため、今回はご無理を言って特別に見せてもらいました)
6代目は、現在自分の蔵の改装にリアル直面しています。前に進むために、そのきっかけの種がこの酒蔵にあるのではないかと思って来ることになったのでしょう。

img_4238 img_4237仕込み蔵が、まるでホテルのラウンジのような。案内してくれたのは結城さん。1年半前は同じ市内にある天童木工でバリバリ働いていた方が、今は水戸部さんのところでバリバリと日本酒、さらには日本の伝統や技術を進化、継承していく仕事をされていました。デザインや空間、プロダクトをつくっていた結城さんが酒屋さんで2年たたないうちに日本酒や蔵のことに精通していました。話したら建築にも相当詳しく、趣味も多彩。働く場所が違っていても、何をしても芯も軸もある人は強いなぁ。その人柄に数分会っただけでも惹き付けられてしまいました。

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僕はお酒も味噌も醸していないのですが、この場所とたぶん蔵人全てが共有しているであろう働く想いに触れて、業種がぜんぜん違っても心の奥でびんびん感じるものがありました。
目頭があつくなるような類いのものですが、そんなことを感じられることが人間たる証、人間がつくる仕事、なんだと思いました。
発酵兄妹のふたりは、たぶん僕よりももっと大きなものをここで感じて、自分の蔵に持って帰れたかもしれません。そうであるのであれば、僕はその想いに共感して、できることを山梨に帰って仲間として協力していきたいです。
同じ目線で、同じ方向を見て、同じ時代を駆ける仲間がいることは、とても大きなことなんです。僕の役割、もう明確なんですよ。だから、その一歩を踏み出す勇気を、背中をそっと押してもらえるように。

img_4431とにかく得る物が多かった山形の旅。なんの気も使わず旅ができる仲間がいることがなにより嬉しいです。3日間ありがとう。
人と人が繋がる、こんな旅をたまにできたらいいですね。
山梨に遊びに来てくれる人に、僕も自分の日常から引き出しをあけるように、ありのままの山梨を伝えられたらいいな。
やまなしの人や暮らしを伝える。
僕が今までもこれからも、やるべきこと。

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師匠

ぼくにはデザインも編集も仕事の上での師匠がいない。
けっこうバリバリのアートディレクターや広告系の人は、ベテランの下について一緒に仕事をして独立っていうルートを辿っているのをよくみる。カメラマンとかもその流れが多い。
僕の道筋は、大学生の頃にイラストレーターを手に入れ独学でソフトの使い方を覚え、たいしてデザインもできない頃にデザイナーだけど取材もできますとか言って制作会社に入ったり、デザイン専門の会社で基礎的なところを徹底的にたたきこまれ、あとは好きなことができる会社を選んでリーマンショックで会社が傾いて放出され、否応なしに独立、そして今にいたる。いわゆるスタープレイヤーやこの道何十年の写植からやっていたベテラン、みたいな人の下についたことがない。つまりリアル師匠がいない。

そんな僕にとって、唯一勝手に師匠と思っている人がいる。あくまに勝手な妄想師匠。
その人はイラストレーターでデザイナーでシンガーソングライターで物書きで、流行語大賞とかとっちゃう人で、仏教学校卒で仏像に詳しくて、サブカルの権化で誰に対しても下手で優しくて、テレビや雑誌でエロいことを言ってお金をもらっている人だ。
他にも肩書きが多く、もはやなんの人かもカテゴライズできない人だ。
若かりし20代の終わり、彼の人に憧れ髪を伸ばしロン毛で過ごしてみた。中央線に住むと出世しないと言われつつも、彼の人がずっと住んでいた中央線をこよなく好きで住んでみた。ボブディランや吉田拓郎が好きになって、音楽の幅が広がったのも師匠のおかげ。好きすぎて、企画を立てて一度だけ仕事も一緒にできた。
そのときに書いてもらったイラストは今でも額に入れて部屋に飾ってある宝物だ。
ぼくの座右の銘は「色即是空」なのだが、これも師匠の著書をいろいろ読んでいきあたったところ。
悟ることは絶対にできそうもないけど、ものごとの真理には常に目を向けれるようになったかもしれない。
真理に目を向けると、馬鹿げてやってられないことばかりだ。
こたえは風の中に、とディランが歌っていたけどその風がまだ吹いていない。

つまるところ、師匠がいてくれてよかったということ(妄想師匠)。
師匠の道をみつめながら、僕は僕らしい道を歩いていきます。
師匠の師匠が糸井さんってのも、さすがです。この連載とかいまだに好きで見ちゃいます。

http://www.1101.com/job_study/jun/

SWITCH

ほぼ日でとても面白い対談がはじまっている。
http://www.1101.com/switch/araitoshinori/

スイッチパブリッシングはほんとに独自のメディアで出版社だと思う。
10年以上前東京に始めて出たときに、はじめて受けた面接がSWITCH編集部だった。
雑誌を作りたいとウズウズしていたぼくは、編集がなんたるかも何も知らないまま、好きというだけで受けにいってしまった。でもその嗅覚、今思っても間違っていなかったと思えるから若かりし頃の初期衝動はすごいなぁと思う。

そこで面接の人に言われたのは、「誰に会いたい?」「自分の時間より雑誌のことを考えることになるよ」「編集の馬になるだろう」ということだった。まず「誰に会いたい?」の質問には当時ひまさえあれば読んでいた宮本輝と即答。とにかく雑誌は作るのに時間と労力、アイデアや想像力や時代を読む目が必要と言われた。そして、編集という名のもとに、馬車馬になって働いてもらうことになると言われたのだ。「編集の馬になれ」、そう言われた気がする。今でもその言葉はとても強烈な言葉として自分の中に残っている。

田舎から出てきたばかりの僕を、やる気があるなら採用すると言ってもらえた。まずは掃除とか雑用から始まると。まだ雑誌を作るのにデザインも編集も区別がイマイチついていない仕事の内容もわからなかった当時の僕は、そうとう仕事が大変そうということに少しびびってしまい、その後散々迷って辞退の電話をすることになった。
そこでSWITCHに入っていたら、今のようなデザインを軸とした編集の仕事ではなく、編集を軸としたもっと雑誌に特化した編集者になっていたかもしれない。それはそれでいいのかもしれないが、山梨には帰っていないかもしれない。

とにかく東京では何社も面接を受けいろいろな会社を渡り歩いたけど、最初に受けたSWITCHの面接が一番強烈に覚えている。
そして、SWITCHもCoyoteもMonkeyもゆるぎない編集方針で、今でも最高に好きな雑誌だ。

そう、だから僕もメディアを作りたい、小さなメディアでもじっくりと育てたいと今になって思っている。
ほぼ日もSWITCHも遠くで瞬く星のように目指してもまだぜんぜん届かないところにある。
ただ星はずっと変わらずその場所で輝いていて、ぼくらの希望になる。

新しいことを始める、初期衝動のような勢いを、いまいちど。

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音楽は気分で聞くことが多いと思う。
最新のミュージックにうとくなってしまったアラフォーは、往年の名曲をリピートしたり、人にすすめられた曲を聴いたり。

今日は「さよならキャメルハウス」をリピートしていた。
たぶん、そんな気分だったんだなぁと。ちなみにWater Water Camelは山梨に帰ってきてから聴くように。

よく行く喫茶店にボーカルがふつうにいるんですもん、そりゃ聴きますよ、そしてリピートしまくりますよ。
山梨には食をつくる人が身近にいるのが印象的でしたが、音楽をつくる人も身近にいた。

まわりにいる運命のアラサーは、日常に翻弄されたり、また大人になってしまう時間と葛藤したり、日々で感じた喜びを隠そうともせずに、その喜びを食卓に、そして哀しみはトイレに流している。
そんな茶番劇を降りようともしない人たちと楽しく過ごしている。幸せなことだ。

自分にとって音楽とは、いつも無条件に寄り添ってくれる、人の魂の産物。

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山梨をよろしくと勝手に託された気分でいるのでまだまだ頑張れる。
いつか活動休止という魔法を僕らに解かせてください。

 

たまには遠くに行きたくなる。いろいろ大人になると背負うから、その荷物を置いたまま。
なんかたまにそんなことを思う。遅れてきた青春か、愛すべき生まれて育っていくサークルか。
まだ神様を信じる強さは、ある。

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甲府市リノベーションまちづくり構想策定委員会という、これからの甲府中心市街地の空き家対策の構想を考えていく委員会に入ることになりました。この名前を長いし硬いからリノベーションしたいんだけど。

ぼく以外はほぼ甲府の方々。ぼくは外から目線で甲府を見ている。山梨全体の中の甲府。
甲府はそうはいっても山梨の中の一番のcity。cityの役割って考えたら、足りないもがいっぱいあるし、あったらいいなが増えたらそれが一番いいなって思う。
僕がいま一番甲府にほしいのは、美味しいホットドッグ屋と、噴水のある公園。
コーヒーテイクアウトしてホットドッグ食べながら公園で春光堂で買った本を読むとかで幸せな休日が過ごせる。

たった1人の行動でも街は変わっていくはず。甲府がその行動の集積で彩られればいいな。

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仕事をしている机から振り向くとこの言葉がある。

別にいつも意識しているわけでもないし本気で思っているわけでもないけど、真剣には思っている。
生まれて死んでいく時間は誰しも均等ではない。平等なんてこの世の中にはこれっぽっちもない。
ならば自分らしく楽しく人に迷惑をかけない程度で後悔しない生き方をするべきなんだろうな。
ふだん意識しないけど死はいつも隣にいるってことを自覚するだけでも、それは生きるってことで希望になる。
今週の週刊少年ジャンプの最終回のブリーチで、藍染が言っていた。
「人はただ生きるだけでも歩み続けるがそれは恐怖を退けて歩み続ける事とはまるで違う」
(久保先生連載おつかれさまでした)

まあ、なにはともあれひまつぶしは楽しいほうがいい。最高の茶番を演じたい。

先日、甲州市に移住してきた発酵デザイナー小倉ヒラクくんの家に撮影のお仕事で行ったら、東京と長野から知り合いの人たちが前日から泊まりで集まっていました。左から、長野県飯山でいけてるばあちゃん、じいちゃんを発信するフリーペーパー「鶴と亀」の小林くん、ローカルライターとしてジモコロなどでキャラを確立しつつあり、僕の雛形での記事も書いてくれた根岸さん、ゲストハウスnuiやtoco、京都のLenなどをつくるBackpacker’s Japanの石崎くん、ジモコロ編集長、バーグハンバーグバーグの柿次郎さんの4人。

取材だったり夏休み気分だったりで、山梨、長野を旅するとのことで、その前に集合写真を撮らせてもらっての1枚。
おじさんたちの夏休み、と柿さんがつぶやいていた。おじさんになっても夏休みって楽しいですよね。

1年前くらいに知人にすすめられて読んだこの本は、頭の奥と心のまだ温かいところをとても揺さぶられました。
1973年にE.F.シューマッハという人が著したこの本では、「人間は小さいもの。だからこそ小さいものは素晴らしい」という枠組みの中で、経済やエネルギーの話が語られます。

本が出てから約40年が経ち、世界がこの本に警告されていたような道筋を辿ってしまっています。原子力の危険性もとっくに見破っているし。
物事やこの世界自体には本質があると思います。
日々の平穏や効率、仕事という言い訳を優先するためにその本質を無視しながら暮らしていると思うこともしばしば。
数年前、あれだけの大災害があったにも関わらず、変わらないこと、本質が見過ごされたことも多い。
ぼくらはそんな世界に生きているのだ、とふと思うことがあります。

生命の神秘、人の気持ちや心は経済学では語れないことが多いはず。ぼくが座右の銘にしているのは仏教の言葉。
その仏教の「正しい生活」などの教えを経済学に取りいれた、「仏教経済学」を提唱するあたり僕にとってはもうツボなのです。

この本でいちばん心に響いた言葉は、読み始めて数ページ目にありました。
「未来を語ることに意味があるのは、現在の行動に結びつくときだけである」

どんな行動が自分にできるのだろうか。
山梨に帰ってきてからは、暮らしを考えることがとても多くなりました。

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夏の日の編集長。
夏っぽくない見た目で、夏が似合わないとよく言われていました。この夏はイベントに行ったり出たり、Tシャツに麦わらで夏っぽさを無理やり演出したりしています。
気づくと遊んだり一緒に行くメンバーが20代が多かったり、ひとまわりも歳が違う人がまわりにたくさん。だいたい年下。運命のアラフォー。
県外の視察なんかも誘ってもらったり、元気なおっさんとしてこれからも頑張らなくちゃな。

みんなそそのかされてしまう夏は気づくとあっという間。夏のぬるい風に吹かれるのも好き。
何を書きたかったかも忘れてしまうのは、それはあれだ、夏のせい。

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BEER

BEERはBEEKと一文字違い。
甲府の駅前にほんとに多くの人々。地ビールを楽しむひとたち。
行くと知り合いが飲んでいる甲府のまちの日常。
(編集長はわりと飲めない体質です)

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