BEEK DESIGN
BEEK DESIGN is Creative Desgin Group in Yamanashi, Japan.

BEEK Blog

ちがい

ちょうど1年前からずっと心にへばりついて、今もたまに思い出してモヤモヤ考えることがある。
それはある人からの、ある質問で。

「土屋さんは自分と同業者(地域のデザインをやっている人)の違いはなんだと思う?」

その場でとっさに考えるも、取り繕ったような返ししかできず、自分で納得するこたえをそのときに出せなかった。
もちろん質問をしたホトリニテ宿主も納得してはいなかった。

それからというもの、ことあるごとにその質問の真意を考えるようになった。
ぼくのやっているデザインや編集は、他の地域の人とどう違うのか。そもそも違う必要があるのか?

デザインや編集を都会で身につけ田舎に帰ってその力を存分に発揮している方々は多くいる。
ぼく自身、尊敬するローカルデザイナーが何人かいて、その人の背中を見ていて自信を持てたことも多い。
地域でフリーペーパーをつくってそこから仕事に結びつけている人ももちろんいる。

じゃあぼくは何が違うのか? 違うところなんて見つからないじゃないか。

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それから1年。
多くの人に会ってはなしを聞いて、僕なりの伝えるという仕事をしてきた中で現時点での到達点。
今まで意識していなかった自分の人や仕事に対する“行為”がひとつの型になり、それが人との違いに結びつくのではないかなと思うようになった。
もっとわかりやすいこたえは? と言われると、実物がないから見ることができないし、つねに流れていくつかみ取れないようなものなので口に出したとたん変質し陳腐なものになりさがる気がしている。と、書いているだけで言い訳のようにも聞こえる。

自分の型。自分の行為。
本質は空であり不変のものなどないという「色即是空」という僕の座右の銘は、空であるのだろうが考え方自体は仏教という枠組みの中にあった。
ぼくは、ぼくなりの色即是空を持っている(悟れないけど)。
なんか、そんなことじゃないのかな。違うかもしれないけど、それを納得してもらえる行為を増やしていく。

ぼくにはやるべきと思っていて、まだできていないいくつかのことがある。
それを達成させるための行為から、こたえの欠片を伝えられたらいいなと。

また、ゆっくり話しましょうね。

げんきまつりでパンまつり、ご来場していただいた方々、出店のパン屋さん、ほんとにありがとうございました。

BEEKでふだんなじみあるパン屋さんが多いこと、ぼくが単純にパンが好きなこと、やまなしにもこんなにおいしいパン屋さんがあるんだってこと、そんな単純な理由で今回のパンまつりを開催しました。
たのしいお祭りになればいいし、いろいろな個性あるパン屋さんを知ってほしい、そんな気持ちしかありません。

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げんき祭りという今年で3回目の富士吉田での楽しいお祭りがあるので、去年からBEEKでも協力してイベントを一緒にやるようになりました。ほんとうに県内外から元気な人が集まるんですよ。今回もふくめ、全3回とも参加していますが毎回元気をもらっています。

IMG_9911(写真は去年のようす。今年バタバタすぎてぜんぜん写真撮れなかったww)

今回パンまつりで、想像をこえまくるお客さんに集まっていただき、せまい小屋に入るのに行列ができてしまいました。
会場は混雑するし、最後のほうの人は買えなかったり…。ほんとうにごめんなさい。
次にいかします。
げんき祭りのスタッフのみなさんにはお手伝いいただいてほんとうに感謝しています。

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パンと本とコーヒーがあれば、休日はたいていしあわせです。
そんななんでもない1日をすごせる場をまた作れるようにがんばります。

参加パン屋さん:山角(北杜)、asa-coya(韮崎)、ブーランジェリー パンペパン(甲府)、ベーカリールーブル(南アルプス)、MOGMOG PAN(笛吹市)、コンプレ堂(北杜)、Naturalrhythm(都留)、チェチェメニ(富士川町)、パンとお菓子の店 akikki(北杜)、お菓子と天然酵母パン tobira(都留)

山梨のハタオリ産地の人や暮らしを伝えるLOOM。
半年かけて紡いだこの冊子の山梨でのお披露目会として、甲府の文化のるつぼ へちまで音楽会を開催しました。

取材期間、産地に通っているとどこの工場でもハタオリのガッシャン、ガッシャンという音が聞こえてきました。
ぼくにはまるでそれがハタオリのうたに聞こえたんです。
工場によって、織るものによっても違うその音たち。昔は街全体で響いていたといいます。
音と切り離せない織るという営み。
LOOMも作って配って終わりということではなく、音楽を通して伝えることもできるのではと思いました。

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演奏は甲府在住の音楽家、田辺玄くん(WATER WATER CAMEL)と森ゆにさんにお願いしました。
音楽会の前に、機屋さんに伺って実際の織機の音を録音したり、ハタオリうたという民謡をあたらしくアレンジしてもらったり。

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なんとライブではハタオリをフューチャーした新しい曲、その名も「LOOM」が披露されました。
織機の音をリズムとしてバックに、ゆにさんの優しい歌声が響きました。
機屋さんの今までの苦労と喜びをすべてひっくるめて昇華させていくようなうた。

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最後は僕と写真家・砺波周平さんのLOOMで撮った写真をスライドにして、それに音を重ねていきました。

時代(いま)を織る。
LOOMにつけたコピーです。
今は過去がつくり、未来は今がつくるものだおもっています。
この時代に生きる機屋さんは、過去を紡ぎ、今を生き、そして未来へ繋げていくという使命をおって日々の営みに励んでいます。
取材でお会いした機屋さんはみな朗らかで、足踏みをそろえて前を向いている方たちばかりでした。

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会場に来ていただいた方々には、何か感じるものを持って帰ってもらえたならそれが一番うれしいことです。
僕自信、音楽にここまで感情を揺さぶられたのははじめてのことかもしれません。
会場に多く来てくれた機屋さん、ハタ女のみなさんの終わったあとの笑顔で会話している姿が忘れられません。ほんとうによかった。

僕にとって、山梨に帰ってきてほんとうによかったと思えるできごとのひとつになりました。
ぼくはこれからも、伝えるという仕事をやっていけそうです。

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最近37歳になった。

数字だけみたらアラフォーなわけで。大学生の頃想像していた40歳近辺の大人は、ふつうに大人だった。
自分はどうだろう? もちろんその頃と変わったことも多い。
特に仕事を独立するようになってから考え方がとても変わった。大げさに言うと世界を見る目が変わった。
女のこの好みも変わった、かもしれない。

でも変わらないことのほうがずっと多い、気がする。

相変わらずくだらないことばかり考えて、中学生みたいな思考回路中心で生きている。
変わらないは、変えられない。世界もそんなに変わってない。

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LOOM

山梨織物産地を伝えるフリーマガジンLOOMができました。
夏前にこの話を発行元となる山梨県富士工業技術センターの五十嵐さんからいただいて、そこから富士吉田市、西桂町に月に何回も足を運ぶこと数ヶ月。
そして編集/デザインを含めると半年。

僕にとって、とても大きな想いも一緒にもらえた仕事になりました。

それは時代(いま)を織る、機屋さんたちの想い。産地の過去と、現代、そして未来。
過去を今に紡ぎ、それを未来に伝えていこうとする想い。

この時代に機を織る人たちの、このタイミングでしか作れないような冊子が作れたのではないかと思います。
冊子の中に「Synchronicity」というタイトルの特集を作りました。
シンクロニシティ=共時性、同時性。

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産地を巡る中で、いくつかのキーワードがありました。その一つに、今このタイミングだからこそ成り立っている、人と人との関係性がありました。
それは機屋さんどうし、外からの専門職の人たちとの交流、サポートするシケンジョとの関係性、全てにおいて言えることでした。
その関係性の中から、新しいブランドが生まれていたり、若い世代の就職につながっていたり。

この仕事の話を五十嵐さんからいただいたとき、織物の知識もなく、産地のこともまだほとんどしらない僕に、ここに住む人たちの営みを伝える自信はまったくありませんでした。
だからこそ、知りながらこの街を歩いて、聞いて、見て、編んでいく。

取材で出会った機屋さんはみな朗らかで、皆が同じ前を向いて仕事に励んでいる方ばかりでした。
職人さんでありながら、ブランドを作り、それを伝えることもしていく。
ブランドを作った会社が、それを後から続くブランドにもノウハウを共有する。

多種類の織物を織る産地だからこそ成り立つことでもあるのかなと思いました。

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最後の編集後記で五十嵐さんはこう記してくれました。

「今を伝える語り手として、山梨に住むひとりの市民の視点をBEEK DESIGNの土屋さんに担っていただき、共に産地をめぐる中で本書が完成しました」

 公共機関の冊子を作るのに、1個人である僕にすべて委ねてくれたというのは、すごいことなんですよ。
それだけ五十嵐さんが僕を信用してくれ、細かい調整を見えないところでしてくれたということだと思います。
その期待に応えられる冊子を、作れたかはわかりませんが、僕のいまできることを最大限使って冊子を作らせてもらいました。
BEEKを作ってそれが新しい冊子につながったことはとても嬉しいし、やまなしのことを伝えるという意味ではイコールです。

明日はLOOMを伝える音楽会を甲府のへちまでやります。
頼まれてもいないのに、イベントを企画して、まだ産地のことを知らない人に少しでも音楽を通して伝えることができればと思いました。
演奏には地元の音楽家、田辺玄さんと森ゆにさんに。お二人の音楽を甲府で聞きたいと思ったのも正直なところ。
音楽会の感想はまたこんど。

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それは2月、立春を迎えてもまだまだ寒さが続く日のできごと。

この日はお休みの甲府のパタゴニアの南喫茶店にぼくは訪れました。
店に入ると店主の齋藤さん、パン屋「山角」のあっこさんが料理の仕込みに精を出していました。

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パタゴニアの南喫茶店は3月13日をもって甲府のお店をクローズし、春には山梨から新しい地に旅立つことになりました。
今日ここに山角のあっこさんがいる理由は、齋藤さんの料理を“引き継ぐ”こと。そして齋藤さんもあっこさんのパンのつくりかたを吸収して日常のパンを焼こうということ。

あっこさんはパン屋として今は各地で行商をしていますが、春先からはカフェを開くことになるそうです。(パン屋の前はカフェオーナーなんですよね)
北杜市のとある工場跡地で、ゲストハウスやシェアオフィスなどが入る敷地の一画で。
そのカフェで、パタゴニアの南喫茶店で出していたぼくもいちばん好きなメニュー「豚のアマトリチャーナのパスタ」を齋藤さんから引き継いで提供していこうと考えたそうです。
あっこさんは齋藤さんのことを「わたしととても似ていて、気が合う」と評します。
会ってまだそこまで長くない二人なのですが、端から見ていてもたぶんそうなんだろうなと思います。見えないところを共有するには、特に歳月や性別もあまり関係ないのかもしれません。

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そんなふたりの、食を継いでいく場面にぼくは出くわしたのです。招いていただいたというほうが正しいのですが。
誰かにとってはふつうの日常の時間ですが、きわめて個人的に大切なことがおこなわれている時間にこの場所にいれることはとてもうれしいことでした。
そんな日の記録をここにいま書いています。
料理に精通しているわけでもないぼくは、この日も気の利いた言葉を二人にかけたりはできませんでした。そんなことを求めていないだろうけど。

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ぼくはふたりのこの作業を見守って、写真におさめていきました。時に、料理について、日々の暮らしについての話も交えながら。

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パスタはすべて自家製。まるでうどんのようって表現したら失笑されました。
アマトリチャーナ用の平面と、ショートパスタもつくりました。手際がいいふたり。
料理には歴史や地域性がとてもあらわれていて、それはパスタにもパンにも言えその背景がみえる料理に興味をひかれるそう。

パスタもパンも“食べもの”という枠の外に人の痕跡がある。だからふたりとも人が好きなんじゃないか、なんて勝手に妄想をすることしかできませんでした。

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ソースを煮込んでいる間に、パンの仕込み。
この日はあっこさんが前もって仕込んできた黒丸のパン種で、齋藤さんの家のオーブンでも焼けるパンを目指します。
まずは日常のパンが焼けるように。
できるだけ手で触る要素を少なくして整形していきます。

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整形のあと、パンに入れるクープも齋藤さんがその場で考えて入れました。料理って想像力。
黒丸ともうひとつ、シナモンロールも作ることに。シナモンロールってこうやって作るんだーって感心。

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多少メモをとりながらだったけど、感覚的にふたりはおたがいの領域のことをわかっているように思えました。そしてとても楽しそうに。食をお互い継承していくということだけど、友人にはなむけの言葉を投げかけるように、料理を作っていました。ぼくにはそんなふうに見えました。

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パタゴニアの南で食べるごはんの時間。
そんなに何度も通っているわけではないのですが、ここの空間はほんとうに特別に思えます。すべての間がいいというのか。

食べるという行為でもちろん訪れるのですが、それ以外になにか持って帰れるものがあるような。
最果ての地という名前は、ここからまた何か始まるきっかけになるという意味もあります。
齋藤さんが新天地に行くように、あっこさんも新しいお店を始めるように。

齋藤さんの言葉にもあったのですが、物語はまだ続いています。
最果てから静かに始まる物語は、齋藤さんだけじゃなく、このお店に訪れていた全ての人に言えるのかもしれません。

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店休日にとてもしあわせな食卓を囲むことができて、日々にこういう小さなしあわせがあることにとても感謝しています。
特に山梨に帰ってきてから、食べることを考える機会がとても増えたような気がします。
そこにパンがある、コーヒーがある、美味しいお酒がある、くだらない会話がある。
食べることは生きること。ただそんなことで、人は生きていけるのですね。

日常でおいしいパンを焼けるなんて、とてもしあわせなことだなぁ。

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パタゴニアの南喫茶店のとある日の記録として、少しでも何か書き記せたのならこんなにうれしいことはありません。

誘ってくれたあっこさん、齋藤さんに心から感謝します。

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甲府の街中にいることも多いんですが、歩いていたりコーヒースタンドでコーヒー飲んでいたりすると、知り合いにぐうぜん会ったりすることがよくあるできごと。

東京だとこの偶然感はめったにないけど、甲府のコンパクトな街だとそれがふつうにおこる。

居心地いいかどうかは人次第だけど、ぼくはとってもいいことだなーって思う。
甲府の街は今日も少しつめたい風が吹いていました。

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4年前

むかしずっと愛用していたフィルムのコンパクトカメラGR1を最近ひっぱりだして、ずっと入っていたフィルムを現像してみたら…。

出てきた写真は4年前の写真いろいろ。そんなにこのカメラに触る機会がなかったのかぁとちょっと唖然。
4年放っておいてもふつうに現像できるもんですね。

これからはちゃんと使って、ただのくだらなくてどうでもいいような日常を撮っていきたいな。

気分

今日は一日作業日。いい気分で仕事していたのは、天気がいいのと誰かの言葉と音楽のおかげかな。

それでは聞いてください。「9」。

温泉

まだ若い頃、20代前半で山梨を出たくなかった理由は仕事帰りに温泉に行けるからってのがけっこう大きな理由でもありました。

そして東京から帰ってきた今も歩いて行ける距離に温泉があるし、山梨は泉質のいい温泉がたくさんあっていろいろ行けるのが楽しくて。
僕は歳の割には少し若く見られるらしく肌ツヤいいですねってたまに言われるので、「全部温泉のおかげです」と何の根拠もなく言いきっています。

2月が始まりましたね。今月も仕事がんばって温泉入っておいしいごはんを食べたいです。

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長野県飯山市という、新潟との県境に位置するところからフリーペーパー「鶴と亀」をつくる小林くんがはるばる山梨にやってきました。
小林くんは過去BEEKのイベントに2回も来てくれているという、片道3時間をものともしない、フットワークの軽さが売りの25歳。
なんとひとまわり歳が違うw 干支が一緒と聞いて、今まで普通にしていた会話が奇跡のように思えましたよ、ほんとに。

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ヒップホップで育ってstillichimiyaをずっと聞いてきたという小林くんが山梨のことをいろいろ知りたいというので、山梨アテンドをすることに。
石和のドンキホーテという山梨のランドマークで待ち合わせ。その後、山梨市のデリーベイでキレ系カレーな昼飯を食べ、一宮のモグモグパンへ。
stillichimiyaへの想いと、パン屋をはじめた話などとても深い話。なんで、この場所で勝負するのか。
それは僕らにもとても関係あること。なかなか変わらない、人の気持ちを変えていきたいって思っていること。うむ、とても濃い話だったなー。

そして富士山の麓、富士吉田市へ。SARUYA店主と同年代トーク。どちらもだいぶ歳下だけど自分でやりたいことを見つけて、それを叶えている。
自分の25、26歳の頃を思い出すととても考えられない。なんなんだ、キミたちは! とわりとツッコミを入れている。

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小林くんと去年の年末に会って、「地域のフリーペーパー同士でコラボするって今まで見たことないっすよね? やったらかっこよくないっすか?都会じゃなきゃ面白いもの作れないなんてもうないっすよね。地方から発信していきましょうよ」という話になりました。(僕がこういう感じで受けとっただけで、本人の言葉はもうちょっとマイルドでしたけど)

小林くんが作る「鶴と亀」は、冊子を見ればわかるのですが、日本でこれを作れるのは小林くんしかいないというおじい、おばあの世界観。
もしかしたら誤解されかねない内容もあるかもだけど、そこには彼の信念や発信したい想い、自分の婆ちゃんが好きすぎて始まっているというきわめて個人的な動機があります。
だからこそ信用できるし、それを続けるという個人の強さを小林くんに会う度に感じています。

「鶴と亀を作るのはミュージシャンとしてアルバムを一枚作っているような感じなんですよ。音楽だと、地域と地域をまたいでコラボとか多いじゃないですか。そういうの、かっこいいっすよね」

かっこいいことを求めるって、すごい純粋なことで、一番やりたいことなのかもしれない。だけどどんどん歳をとると、理由をつけてかっこつけなくなる。

ということでかっこつけて、地域をまたいだフリーペーパーを出すことを心に誓いました。
歳の離れた若い子から放たれたリリックにアンサーしないことほどかっこわるいことはないですからね。

鶴と亀×BEEK、今年実現させます。その想いと、未だIssue05が出ない自分への戒めとしてブログに書いておきます。
次は山梨メンバーで飯山に遊びに行きたい〜。温泉メインで。

編集者

甲府の春光堂書店で買って来た「圏外編集者」。都築響一さんの語る編集や本をつくることの意味。
都築さんが今までやってきた編集の跡が雑誌や書籍として残っていてその痕跡を見てきたことが、今の自分の仕事にとても大きな影響を与えてくれています。
本やデザインを通して、伝えたい、残したいと思って今の仕事をはじめた原因の一つと言ってもいいくらい。

ぼくが今の仕事をしているきっかけは、雑誌が好きで雑誌を作りたいと思ったから。
大学卒業後、就職活動もせずフラフラしていたのですが、そろそろ今後の仕事を考えようと思った時に、好きでよく読んでいたBRUTUSやrelax、STUDIO VOICEに影響され雑誌を作ってみたいと思ったんです。

でも山梨でくすぶっている田舎者で、雑誌がどうやって作られているかなんてわからないし、そもそも編集者ってカテゴリがあることも知りませんでした。
結果、デザイナーとしてその門徒を叩くことになった25歳。東京に上京して小さな編集プロダクションや、雑誌を発行している編集部でデザインをしながらも取材や撮影に赴くということを始めたのです。今山梨でやっているスタイルの原型です。

特に「Tokyo graffiti」では取材しまくった。表参道で声かけた若いこの家に次の日には行って部屋を撮影するとか、新宿2丁目に行ってアポ無しでレズカップルを探すとか、agehaや渋谷のWOMBのクラブで深夜の取材とか、高校生1日50人撮影しまくるとか。
短い期間しかいなかったけど、とても多くのことを体験させてもらった雑誌です。

そんなこんなで、僕はデザイナーとしての仕事は好きなんだけど、それ以上に編集という職業が好きなんです。デザインの領域にも編集がないと成り立たないし、編集者であり続けるということは、自分の視点を持ち続けるという、ある種自分と向き合い続けることでもあると思うんです。

「圏外編集者」を読んで、忘れそうになるその編集者としての気持ちをこれからも持ち続けようとあらためて思わせてくれました。
都築さんは言います。「読者を見るな、自分を見ろ」
たぶん、どんな職種の人も多かれ少なかれ、編集という作業をしているはずです。
編集は選択の連続作業です。

やまなしのアートディレクターと名乗っている今の肩書きを僕という個人を通して分解して直訳すると、「デザインや写真というツールも使える編集者」。
デザインや写真はもちろん好きだけど、すべて編集のもとで光り輝くものだから。

だから僕はいつかデザイナーをやめたとしても、編集者ではいたいのです。
人生も編集という視点で見れば、誰しもが編集者だと思うんですけどね。

BEEKを作る意味はいろいろあるのですが、僕がほぼ一人で作っているというところにも大きな意味があると思います。

本を作りたいって、ほんと衝動なんですよ。
このワクワクする衝動をもっと多くの人に伝えたいし、いろんな人の衝動を見てみたい。
デザインの仕事で忙しくなっている今、僕はとてもモヤモヤしています。
4月以降、自分の仕事を少し見つめ直しながら衝動を大事にしていこうと思った雪の積もる日。

keith Jarretの「The Melody At Night,With You」。たぶん、人生で一番聞いているアルバム。

好きなことに理由がないアルバム。理由もなく心に染み込んでくるし、何度も聞いてしまう。
理由がないから、理由を考えたりもするのだけど見つかりません。

人間って行動に対して理由を付随させたり、生きていくことに対してもっともらしい大義名分を語ってしまう。
でも、人を好きになるとか生きたいって本能で思うことは、やっぱり理由がないと思うんですよね。
このアルバムを聴いていると、そんな心の内側にある自分の“ほんとうのところ”を忘れないでいられる。

さて、取材に行ってきます。
(もちろん、ノリノリでアゲアゲでピコピコな曲も大好きなのです)

友人の写真家さんから「message」という写真集をもらった。僕がよく佐内正史さんの写真好きだと言っていたのを覚えていてくれて、ブックオフで100円だったからと買ってきてくれました。古書の通販みたら4000円とか6000円の値段ついてたので、かなりの掘り出しもの。
四季の移ろいがただただ写されている。素直に見た風景を写真におさめているのかなぁなんて想像する。
素直に写真を撮るって、できそうでできないんですよね。

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ぼくも数年前に住んでいて大好きだった国立の郵便局まえの桜並木。
コンビニとか空き地とかなにげない風景が続いていきます。急にあらわれるモノクロ写真も違和感がない。

ぼくが写真をはじめたのはたぶん23歳のころ。
しごとでフィルムの一眼レフを使う用になり、プライベートでも一眼レフを買い(はじめて買ったのはcanonのAE-1)、日々をよく撮っていました。

誰に習うわけでもなく、何を撮ろうと思っていたわけではないのですが、フィルムを現像して紙焼きになってあらわれる写真という日常のある一瞬の静止画に、なにかよくわからないまま心を動かされていました。
その時代に見た写真集で佐内さんの「生きている」がありました。

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壁や電柱、雑草や街並、ドアノブまで最初はなんだかよくわからないまま見ていました。でもそこにある日常には撮る人の覚悟があるということが写真を多く撮るようになってきた時になんとなく感じられるようになりました。写真を撮りたい、シャッターを押す理由がこの写真集を見ると自分の中でうまく説明できるような気がして。
今でも大好きな写真集です。写真好きな人からしたらベタかもしれませんが、写真を撮りたいと今でも思えている原動力がこの写真集にあったのかなと。

そして2005年に出た「a girl like you」を見て人が撮りたくなり、人ばかり撮る雑誌社に入社するというぼくの単純さ。今思うと若い頃の自分は単純すぎてうらやましい。ほんと、計画性なんて皆無だったんですよ。
他にも大橋仁さん、高橋恭司さん、川内倫子さんの写真を好きでよく見ていました。

写真を撮るようになって10数年。今はしごとや記録として撮ることがほとんどになってしまった。
写真のことをもういちどちゃんと考えたいと思ってBEEKでも写真の企画を考えました。それがドツボにはまる幕開けだったのですが。。。

ただ、これからも写真を撮っていきたい。日々撮る写真にプロとかアマチュアとかの境界はいらないですよね。
ただの日常、人との関係性や感情も写真で残したい。
それがいずれ変わっていくとしても、記憶の記録として残したいと僕は思うから。

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今年最初の打合せを甲府のパタゴニアの南喫茶店で。すごい偶然隣に北杜市の友人二人が来るという幸先のよい仕事の始まり。気持ちのよい空気が流れている場所で、エネルギーあふれる人に会ったのでなんだかとても元気が出ました。お正月から仕事モードにぜんぜん切り替わっていなかったのでちょうどよかったなぁ。

打合せは、4ヶ月かけて富士吉田や西桂町を取材してきた郡内織物を伝える冊子の制作やイベントのはなし。今月にはやっと発刊できそう。僕にこの仕事をかなり自由に任せてくださった県の職員の方がいるのですが、とても丁寧に細かい事務処理を進めてもらい、結果僕は制作にとても集中できました。こんなに細かいことに目が届いて、しかもかなり広い視野で未来を見ている人が県の職員として在籍されていることにとても驚きました。取材をしていく上で機屋さんたちからの信頼の厚さがハンパじゃないことを目の当たりにしたら、とても納得がいきました。
本当に今回の抜擢には感謝の気持ちでいっぱいです。それだけに、BEEK以上によい冊子を作ろうとやってきました。

リリースできるのが楽しみ。さて、今日も編集頑張ろう。

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先日の大晦日の話ですが、創業明治元年の甲府のみそ屋、五味醤油さんで醤油の仕込みを取材&お手伝いしてきました。この日は出麹の日。
そもそも、五味醤油って名前でみそ屋ってどういうこと?ってなりますが、醤油は今はお休みしているから。もともとは醤油とみそを醸造してきたのですが、時代の流れの中で今はみそだけを作っているのです。「甲州みそ」という山梨ならではの米と麦がミックスされたみそ。くわしくはBEEK Issue04 「発酵している」を見てくださいね。

それはさておき、名前や数字にとてもこだわりのある五味醤油6代目が、ついに醤油作りはじめました。五味醤油と会社名に「醤油」が入っているし、まわりに醤油を作る職人や醤油を伝える人もいて、6代目が醤油を意識しないわけがないんです。
そして物語には始まりがあって、しょうゆを仕込む前に別の醤油屋さんに一緒に作れないかと話をしに行っているのです。
それは2014年の春にさかのぼります。6代目はこの頃、頭の中はだいたい醤油のことでいっぱいになっていました。ただ、醤油を造るにはお金もかかるし、設備や売り先はどうするんだってことがありました。そこでまず造る(五味醤油の蔵では設備が老朽化しているので、自社で全行程をまかなうのは無理なため)ところの協力を得ようと、東京の醤油メーカー「キッコーゴ」さんに共同で造れないかということを直談判しに行くことにしました。

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ここから僕は一緒に手伝うことになるのですが、6代目が醤油を造るかどうか迷っている時、どうしても造ってほしいと僕は思ってしまったのです。業種は違うし規模も違うんですが、僕がBEEKを作りたいと思っていたときとなんだか似てるなぁなんて勝手に思ってしまって。僕も当時一人でできるか不安しかなかったのですが、それこそ最初の取材で出会った人にめちゃめちゃ助けられ(6代目もその一人)今までやってこれました。「醤油を造るべきでしょ」と6代目に言って、醤油を造るところからできあがって売るところまで最後まで手伝って見届けたいと思ったのです。

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キッコーゴさんには企画書もちゃんと造って、醤油造りを巻き込む人にも根回ししたのですが、結局このお話は流れることに。後にこの企画書を見た発酵デザイナーが「これ誰得なのよ」と言われたのですが、巻き込まれる人はぜんぜん得しない(笑) ただ得はしないけど、面白いでしょってことは胸はって言えます。胸はって言えるように、みんなで醤油を造っていきたいんです。たぶん、それこそが6代目の想いなんじゃないかと。この企画書に書いてある「人の濃い醤油」という言葉が個人的にとても好きです。

キッコーゴさんが無理なら、県内にも醤油屋はあるということで、県内の醤油屋さんの協力を得て醤油を造ることになりました。
そして2015年の年末、ついに6代目仕込みをはじめました。醤油の麹ができるまで、3日間かかります。僕は最後の出麹の日にしか行けなかったのですが、テンヨ武田の頼れる姉さんが、3日間つきっきりでお手伝いしてくれるという最高のおもてなし。姉さんチェックは日々醤油を見ているので的確です。

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いつもは味噌用の米麹、麦麹を造っている麹室で醤油の麹を造っています。醤油の原料は大豆と小麦。蒸した大豆と炒って砕いた小麦を混ぜたものに麹菌を加えます。3日かけてしょうゆ麹ができるのですが、それまでのあいだ、湿度や温度管理を徹底します。麹菌の繁殖にむらが出ないようにかきまぜたり、温度があがりすぎないように夜中も麹の手入れをしなければなりません。そして大晦日。6代目の愛ある手入れのおかげで、麹がモコモコできました。テンヨの姉さん曰く「元気すぎるくらいのいい麹」。げんき麹と名付けて、この麹を今度はほぐして塩水の中に放り込みます。大量の場合は木桶や大型のタンクになりますが、今回造る醤油はわりと小ロットなのでこちらの槽に。

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櫂棒でまぜまぜ。FRPの櫂棒を新調する気合いの入れよう。気合いを入れてまぜまぜ。前日五味醤油のインスタを見て手伝いたいと手をあげてくれる人がいたりと大晦日の醤油仕込みは快調にすすみました。

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こうして醤油の諸味ができました。この諸味が微生物の力で発酵・熟成させて醤油になっていきます。最低1年は寝かせるのかな。さらに最後には諸味を搾るという工程もあるので、ここを無事にクリアできるかも重要なんです。発酵していく過程から、搾ってそれをどう売っていくか。たぶん、その間にもいろいろな人を巻き込んでいくと思うので、僕は勝手に「メディア化する醤油」という視点で見ています。こうやって造ることに参加することで、僕は今日こうやってブログを書いています。手伝った人がインスタにポストしたりもしています。広がりは今からですが、醤油というこれだけ手間もかかる調味料を「メディア」という視点で、できあがる醤油自体を「メディア」にできるのではないかと。それこそ、ふだん編集やデザインやメディアを造っている僕ができる最大のお手伝いかなと。
BEEKの発酵特集で醤油を造る井筒屋さんを取材した時に思ったのですが、醤油はほんとうに手間ひまと場所、時間かかる。仕込んだ全量が醤油にならない(でも搾りかすは家畜のエサになって循環しているそうです)。当たり前なんでしょうが、当たり前が伝わっていないという事実もあります。

なにはともあれ、どんな醤油になるか造った本人たちもわかっていません。ただ、“面白い醤油”になることだけは間違いありません。この醤油で大好きな餃子を食べるのが僕の来年の楽しみです。最後に大晦日に仕込んだメンバーとパシャリ。工場長、長靴とジャージの組み合わせ最高です。

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2016 初心

あっという間に2015年が終わって、2016年がはじまってしまいました。はじめて年賀状を年内に出せなかった。んー、毎年秋にはデザインしちゃおうと思っているのに、ヒドい有様です。反省。

去年はやまなしに引っ越してきて2年目の年で、BEEKも04号まで出せて、なんとなく繋がりの中でお仕事のお声をかけてもらうようになったり、よいご縁を取り持っていただいたり、イベントも多く開催したり出たりすることが多かったです。ほんとにありがたいことです。
とはいってもまだ2年。やまなしにちゃんと根付くようになるのに、最低5年ほどはかかると思っているので、今年もじっくりと、ていねいにご縁を繋いでいけたらいいなと思っています。

今年はイベント出るのを控えて、じっくりとBEEKというメディアに向き合うようにしたいと思っています。冊子とは別のメディアを作る時かもしれません。去年できなかった、各地域に出向くことも多くしていこうと思っています。

働き方を考えて、場所を整えて、メディアとしての立ち位置も考えて。
じっくり、ゆっくりと、根を張っていこうと思っています。世間の経済軸に翻弄されないように、常識にとらわれすぎないように、日常を生きていく。

みなさん(このブログを読んでいる希有な人は特に)今年もよろしくおねがいします。

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先日の12/12に「ローカルデザインの失敗」と題して、沖縄からIDEAにんべんの黒川さんご夫婦を甲府の文化のるつぼ へちまにお迎えしました。

IDEAにんべんさんのことはもうだいぶ前から勝手に知っていて(いろいろなデザイン関連本でその作品が紹介されていて、いいなーと共感できるデザインがだいたいにんべんさんだった)、ローカルデザインの大先輩としてずっとお会いしたい方でした。なにより、にんべんさんとはBEEK発刊の時からご縁があったのです。
BEEK創刊号を発刊したときに、たぶんTwitterでそのことを知った黒川さんがBEEKを読みたいと言ってくれるという奇跡が起こるのです。会いたいと思っていた人から連絡来たんですよ。その場でエイサーを踊ろうと思えるくらい嬉しかったのを覚えています。そしてBEEKができるたびに、毎回沖縄に送っていました。

そんな黒川さんご夫婦を山梨にお迎えできる日が来るとは夢にも思いませんでした。黒川さんと面識のあった発酵デザイナーの小倉ヒラクくん、そしてイベントを共催すること多い五味醤油の発酵兄妹との共同開催。こうやって山梨に同じ想いを持ってる仲間がいるのもとても心強くて嬉しかったんです。

トークの内容もそうなのですが、黒川さんご夫婦の人柄というか、もうその存在が全てを物語るイベントだったかなと思います。なのであえてトークの内容は書きません。内容が濃すぎて書けません。
山梨でデザインや編集を生業にしていこうと思った2年半前、沖縄でもう10年続けているにんべんさんがやってきたことを見ていて、勝手に背中を押されていたのを思い出しました。

黒川さんご夫婦には、初日甲府のゲストハウスBACCHUSに、2日目には清里の清泉寮に泊まって頂きました。
2日間山梨にいて「とてもコミュニティが成熟している」「こんなに面白い人が自然と集まるんですね」ということをおっしゃっていました。
そこまで言われると恐縮で多分そうじゃないところもいっぱいありますよーとツッコミを入れたかったけど、でもそう思ってもらえたことは単純に嬉しかったし、ひとつの真実なんだろうなと。

黒川真也さん、祐子さんにお会いできたことは僕のこれからのデザイン家業の人生でとても大きな糧になりました。地域に撒く種をもらったような、そんな気分。
まだまだデザインや編集でできること、丁寧に人の話を聞いていくこと、自分に正直でいること、そんなことを地道に地道に、あせらず、そして僕らしくやっていこうと思いました。

イベントに来て頂いた方々も本当にありがとうございました。聞いて頂ける方がいるからこそ成立します。ほんとうに感謝です。

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先日、諏訪で開催された「まちの教室」に行ってきました。まちの教室については、諏訪のくらもと古本市に行った時にポスターで見てはじめて知りました。毎月第4土曜日に長野界隈のいたるところで開催していたとのこと。詳しくはこちらで。
http://www.naganocampus.net/about

午前中は友人の発酵デザイナー小倉ヒラクくんの授業。とても参加者からの評判がよかったとのことでしたが、こちらは仕事で行けず残念。
午後は秋田のフリーマガジン「のんびり」の編集長をしている藤本さんのお話。以前、あたらしい“ふつう”を提案する『Re:S』という雑誌を作っていて、リトルプレスが好きな僕はよく読んでいて、その誰にも似ていない編集の仕方がとても好きだったのです。

当日の藤本さんの話の内容を書き出すととても長くなるので、怠惰な僕は書けないのですが一言でいうとおもしろかった。
ふつうすぎる感想なんだけど、この「おもしろかった」という中に、様々な要素が含まれるタイプの「おもしろかった」でした。
ふつうって一番難しくてセンスもいるところ。その“ふつう”に身の回りがなるように地道にチャレンジングしているところはほんとにすごいことです。できそうでなかなかできない。僕らデザイナー、編集者がほんとは皆がやらなきゃいけないことだと思います。
紙切れ一枚だって不条理なこと多いですもんね。

さて、来週のローカルデザインの失敗で何を話せるか、今さらながら考えなきゃなー。

松本在住の詩人、ウチダゴウさんの詩の朗読会に行ってきました。朗読会なんてはじめて。詩は好きだけど、自分の解釈で勝手に読んでいたいほうなんで、あまり朗読会には興味がありませんでした。ただ、ウチダさん自身に興味があったので、はじめましての挨拶も兼ねて伺いました。

今回の詩の朗読で全国をまわる「ながいたび」は、スウェーデン・アイルランド・スコットランドと旅をした際に書いた詩を朗読するものでした。詩を読む言葉のフレーズの余韻が、その国々で感じたことの証なのかもしれません。
physisという富士見町にある、+nomosのメンバーがつくりあげたビニールハウスの空間がとても優しく言葉の数々を包み込んでいました。世界は言葉でできているのかもしれませんね。

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